伯剌西爾日記

Prologue
分かっていることは14時15分のスカイライナーに乗らないと飛行機に乗れないことだけ・・・
こんな不安な状態の中、僕の伯剌西爾(ブラジル)行きは始まった。もちろん滞在先のホテルやその他も
ろもろのことも分からない。
今年はなんだかんだと交通事故にやられてるのだけど、一体大丈夫なのだろうか・・・

元はと言えば、まだ夏とも春とも言い難い季節に家で珍しくテレビを家族で見ていた時に、画面に写るブ
ラジルの風景を見ながらボソッと婆さんのはいた一言から始まったんだ。
ばあさん「Kさあ。8月の後半の2週間って空いてる?」
K「確か空いてると思うけど。どうしたの?」
ばあさん「いや、ちょっとお墓参りに行こうと思ってね。付き添ってもらえるかしら?来てもらえると助
かるんだけど?どう?」
K「墓参り?え、どこまで?」
この時、ばあさんがテレビのブラジルの風景を見ながら連想ゲームでブラジルへ行くことを思い出してい
るとは知らなかった・・・
ばあさん「え、だからブラジルまで」
当然のように言ってのけるばあさんだった。恐るべし。
と、言うよりばあさんは今年で81になる。そして、他に行くメンバーはばあさんの妹。それと従兄弟。
の3人。多分年齢を足して四捨五入すると300歳(爆)
いや、もちろん10の位を四捨五入してってことだけど。
哀しいかな僕は孫の代では誰よりも年長。そして、一番ばあさん達を扱うのに慣れている。生きている時
間のほとんどをいつぼけても天然でボケているのと違いないというような天然ボケ3人組を連れてブラ
ジルに僕の年齢の2.5倍も前に死んだ大大大叔父さんの墓参りツアーに参加することとなったんだ。

とまあ、こんなわけで今回のブラジル行きは決まったわけだ。
今回の旅の目的をもう一度詳しく説明しよう。
僕のばあちゃんのお母さん。つまり僕のひい婆さんのお姉さんの旦那さん。(実際この人は僕とは血が繋
がっていない。ただ、ばあちゃんと妹、従姉妹の三婆はその息子たちと仲が良かったのだ。直接血が繋が
ってる人はいるにはいるのだけど、いろいろと私用があって行けないらしい。)この人が80年前にブラ
ジルで移民の医者として随行していたのだけど、現地で風土病にかかって死んでしまった。
そして、この人のお墓が去年の9月に発見されたので、今年そのお墓参りに行くと言うことになった。恐
ろしく不安な旅なのは分かっていただけるだろうか?足腰の弱い婆さん共三人も地球の裏側まで連れて
行って墓参りだなんて、それだけならまだしも予定は三婆のうちの1人のばあちゃんの従姉妹が勝手に内
容を決めてしまっている。
勝手に決めるのはかまわないけど、自分たちの体や年齢のことはまるで考えてない過密スケジュールだ。
まあ、その事実を知るのは飛行機に乗った後だったんだけど。でも、飛行機は無常にも赤い大地、サンバ
の国、移民の国、地球の裏側、珈琲の国に向かって飛んでいくのだ。

8/19
10:00 まだ頭がはっきり起きてない。昨日は芝居の打ち上げで4時近くまで飲んでいたのだ。
眠いのも当たり前だ。
今日がブラジルへ行く日だなんていうのは、どうにも実感がない。だって、地球の反対側まで行くんだ。
眠いなあとか思いながら荷物を詰める。結局ここのところ忙しくて何も用意が出来てなかったのだ。
大体昨日も打ち上げだったしね。
12:00 どうにか荷物を詰め込んだ。果たして何がいるもので何が要らないものなのかが、頭がまるで働
かない。日程でも分かってたりすればなあ。っていうか、今日は台風が直撃してるんだけどホントに飛行
機飛ぶのかな。最悪、成田で一泊なんていうのは勘弁してもらいたいな。
13:00 ばあちゃんの妹の息子が車で家に迎えに来た。14:00に日暮里の駅からスカイライナーに乗れば
良いのだから余裕だろう。母さんと弟は荷物もちで日暮里まで来てくれた。ここから先は僕1人で三婆の
面倒を見なくてはならない。ふ、気が重い。
15:30 なんとか成田に到着。問題なく集合場所に着けた。ここまでは順調。飛行機も問題なく飛ぶこと
が判明。それなのに、日程はまだ知らない。
なんだかんだいろいろとあって飛行機に乗れたのは結局18時。

8/20
散歩に出かけてみる。
よその国の中を散歩するのはスキだ。なんか新しいものや何もなくても迷子になれるしね。でも、道の記
憶力は抜群にいいので、全然迷子にならないんだけどね。(笑)
両替と飲み物を買うのが目的で表に一時間ばかり出てきた。両替してくれそうな所は見つからず仕方ない
のでウィンドウショッピングをする。
現金は持っていてもドルか円。これじゃ買い物も出来ないよ。。。
結局うろついた結果、ホテルのとなりの銀行でお金を弱冠おろす。この国の物価や単位が分かんないから、
結構困るな。ま、適当に。レートは大体わかるしな。
ばあさんどもはお昼寝中。起きたら喉が渇いたとか言いそうなので、水と自分用にジュースを買う。
帰りがけにカフェに行ってカフェラテを飲もうとするがメニューにないのでchocolate grandeとかって
のを頼む。
問題は注文するときに起きた。ポルトガル語なんて全然わかんないんだよな。なので、なんて発音するの
か分からない(笑)英語でいいかなって思って英語で注文してもわかんないって顔された。でも、お店の
お姉さんがんばってポルトガル語で説明してくれた。だから、わかんないってばあ。と思いつつも可愛い
ので許す。
まあなんとかなったので、よしとする。んで、部屋に戻ってきた。仮眠するかなあ・・・シャワーかなあ・・・
まあ、どっちでも・・・
結局シャワーを浴びたくらいで、となりのビュッフェで御飯を食べることになった。
伊達さんというブラジルの広島県人会(死んだ伯父さんは広島の出身だったので、お墓を探すのを手伝っ
てもらった。尚かつ、今回の旅行の現地コーディネートまでしてくれている)の人が連れて行ってくれた。
日本風の味付けなので三婆はお気に入りのようだ。
御飯を食べて一休みしたら、日本領事館へ。
地下鉄に乗って移動。この国の人たちは日本と違って、お年寄りにはちゃんと席を譲る。偉いなあ。荷物
が多い人にも譲る。日本以外の国では当たり前のことなのかもしれない。少し哀しいね。
なんだかんだで日本領事館に着く。
入り口でセキュリティのためパスポートと顔の写真を撮られる。受付のbonita(可愛いお嬢さん)がカメ
ラがうまく使えなくて何回か撮り直しされた。
911からこっち厳しくなったそうだ。
領事館の挨拶は簡単に終わってしまった。ものの3分くらいのものだ。
あんまり早く終わったので美術館に行くことにした。
歩いて10分くらいにあるサンパウロ美術館だ。地上階が無くて地下に展示室がある不思議なつくりの美
術館だ。
今は企画展をやっていて、Paris 1900というのをやっていた。
展示しているもの、そのものもとてもいいものだったけど、それよりも先に展示の仕方や、ライティング
に目が行くのは職業柄かな。天井ばかりしばらくみていた。
展示されている中で気に入ったのは、ロートレックの素描が何点かあったのと、エミール・ガレのアール
ヌーボーの花瓶があって印象に残ってる。僕の好きなPiere Bonnardもあったけど、残念ながら今回は外
れ。Piere Bonnardは女の人の絵がいいのにな。
一度ホテルに戻って解散。
後で集合して御飯を食べることにした。三婆はさすがに疲れたらしく仮眠を取るみたい。
僕も仮眠を取った。
失敗した。仮眠してる間に店が全部しまっていた。
その時点で唯一開いていたのはマクドナルドだけ。
数字の言い方が分からないから、適当に注文していたらえらいことになった。何故か僕の目の前にはセッ
トが五つも積み上げられてしまった。うーん、婆さん三人と僕でなんで5つのセットなんだ?ま、注文し
たのは僕だから誰も責められないよな。
結局、なんとなくたいらげてしまった。お腹すいてたみたい。
ホテルに戻って電池切れで寝てしまう。ふーまだ一日目なんだよな。

8/21
今日はバスツアーの日です(泣)
ツアーの監督としては(?)みんなの体調が気になる所ですけど。結局ツアーに行くことになりました。
とは言ってもガイドは特になくて、日系2世の松本さんって男のドライバーの人が来て、移民博物館とブ
ラジルの歴史資料館みたいな所に連れていってもらうだけなんだけどね。
ま、それはともかく少し時間を戻して、朝に。
8:00 御飯を食べるために起床。
ホテルの御飯はバイキング方式の御飯で、パンが4種類くらい(フランスパン、コッペパン、バーガー、
カステラ)とハムとチーズ。それにスクランブルエッグもどき、ソーセージのトマトソース煮。それから、
ジャガイモのモチ。ヨーグルト、ヤクルト。シリアル。フルーツがメロンとパパイヤ。飲み物がオレンジ
ジュースと珈琲と紅茶その他もろもろ。まあ、こんなもんだと思う。
9:00 食休みをしてる間に9時になってしまった。
下に降りるともうドライバーの松本さんは来てた。人の良さそうな感じのいい40くらいの男の人だ。
真面目そうな感じの、実際真面目なんだと思うけど。
いつもはドライバーだけで、ガイドは別に居るんだそうだ。2世なんだけどあまり日本語は得意ではない
らしい。
でも、今日はドライバー兼ガイドさん。なんでも一生懸命な感じの人だ。
ホテルからバスで15分くらいの所にサンパウロの移民資料館がある。最初の目的地はそこだ。
行くまでの間にいろいろ話しをしながら、街の目に付いたものをあれはなんだ?これはなんだ?っていう
僕の質問に慣れない日本語で答えてくれた。ガイドさんにいろいろ教えてもらうのもいいけど、こういう
風に話しをしながらいろいろ教えてもらうのはとても楽しい。
9:30 資料館についたけれど、まだ開館時間じゃないらしい。仕方ないので資料館の前で時間つぶし。丁
度、学校の生徒達が社会科見学に来ていた。ブラジルは今は新学年が始まったばかり。8月に進級、入学
があるそうだ。季節で言うところの春だから日本と一緒だ。ソメイヨシノじゃないけど、桜の季節らしい
し。サンパウロの街では桜祭りがいろんな所で開催されるそうだ。沖縄桜だったりするので、ピンクも濃
いし、ソメイヨシノみたいにざーっと散ったりしないけどね。
松本さんと駄話をしていたら、子供に「ありがとう!」と声をかけられた。日本人を見つけたら日本語で
知ってる言葉を喋ってみたい年頃らしい。
10:00 そんなこんなで開館時間。ブラブラと中を見て歩くといろんな資料があって面白い。明日から行
くビリグイの古い写真がいくつかあった。歴史はもともとスキだから子細に見ていたら、三婆達は根を上
げてしまったので、珈琲を飲んで次に移動することにした。
11:00 次はブラジル歴史資料館。ホントはMeuseu Paulistaって言うんだけど、内容は歴史資料館。
D.C.1500にブラジルを発見(?)してからの歴史の資料が沢山おいてあった。ここでも一階の真ん中
くらいで根をあげてしまう婆さん達だった。。。僕は松本さんに解らない事は訳してもらったりしながら、
楽しく見てたのになあ。
12:30 ホテルの前に戻ってきた。ホントは5時間がツアーの基本の時間だそうだけど、3時間で婆さん
達は疲れてしまったので切り上げて帰ってきてしまった。ホテルの隣のイチリキでまた御飯。婆さんは自
分で好きなだけ食べられるのがお気に入りのよう。
13;30 御飯を食べたらまた一休み。

午後
14;00 伊達さんが迎えに来た。これから日系移民資料館に行く。ホテルには今日の夜に一緒にビリグイ
にむかう事になるこっちの新聞社の記者の古杉さんが来てた。一応ご挨拶。
日系移民資料館はホテルから歩いて15分くらいのところ。うちのばあちゃんは、疲れたのでお休み。二
婆を連れててくてくと行く。
日系人の文化施設の7〜9階に3階分の資料館がある。
明日から行く、ビリグイのお勉強の日だ。
少し、いや、かなり寂れた感じの資料館で特別一般に公開すると言うよりも記念館的な扱いの強い資料館
だ。それでもサンパウロ移民資料館よりも歴史順に並んでいたり、項目分けがしっかりしてあったりと、
さすが日本人が作ったってかんじの並びだった。いい勉強になりました。
17:00 えっちらおっちら歩いて戻ってきて、ホテルに着く。日差しが強いから目が痛いので伊達さんに
付き合ってもらって露店でサングラスを買う。お姉さんが見立ててくれて、似合うからまけてあげるって
言って10レアルで売ってくれた。(昨日の昼間行った露店は55レアルだと言ってたし、ちゃんとメガ
ネ屋で買うと120レアル!!まあ、モノはいいのだろうけど、、、)
そこで伊達さんと別れて、CDを見にCDショップへ。でも、何が書いてあるかさっぱりわからない(笑)
ので、諦めて昨日も言ったCAFEにコーヒーを飲みに行く。何が出てくるか分からないけど、Cafe com
Chantilyってのを頼んでみた。
出てきたのはCafeの上に生クリームをのっけたモノだ。お店の女の子が大サービスでクリームをのっけ
てくれた。他の店員さんが口笛でその店員さんを冷やかしてたから、いつもの量よりは多いのだろう。し
かし、すごい量だ。エスプレッソのカップの上にその器よりも多くクリームが乗っかってるんだもの。な
んかすごいなあ。かき混ぜると下にCafeが零れまくるので仕方ないから生クリームだけ食べて量を減ら
してから混ぜて飲んだ。これ結構美味しい。美味しいねって言おうと思ったけど、言葉が出てこない。そ
ら知らないんだから出てこないよな。仕方ないから日本語で美味しいよって言った。照れてはにかんでた。
可愛い。
ホテルに戻って昼寝。
19:00 ホテルの近所のブラジル料理のお店に御飯を食べに行く。Cafe Solっていう店。いつも(と言っ
ても二日しか居ないけど。)コーヒーを僕が飲みに来る所。一日一回は行ってる。昨日食べに来たら遅く
て閉まる所だったので、店主のおばさんが残念がってたので、来てみたらとても喜んでくれた。ポルトガ
ル語がわからないのはわかったみたいなので(とは言っても店主も日本語はわからないのだけどね・・・)
付いてくれて食べ方とかを教えてくれた。
料理の名前を見ても何がなにやら、、、Frangoっていうのがチキンらしいってのはわかったので、それと
スープとビーフとサラダを頼む。
出てきてびっくりやたらと量が多い。しかもどれもお腹に溜まりそうなものばかり。ブラジル料理と言え
ばフィジョンという小豆みたいな豆を煮たのを御飯やマンジョーカっていう芋の粉にかけて食べるのが
有名らしい。僕は知らなかったけど。あまりに店主のおばさんが喜んだので残さないように一生懸命食べ
たら気持ち悪くなった。
なんとか、一杯のお腹を抱えてホテルに戻る。
この後、夜行バスでビリグイに移動だ。今回の旅の一番の目的地にむかうことになる。
21:00 伊達さんがホテルまで迎えに来てくれて、バスの乗り場まで連れて行ってくれた。
しかし、ブラジル料理の食べ過ぎでとっても気持ち悪い。
22:30 ビリグイ行きのバスが来た。ぞろぞろと乗り込む。僕らの前に子供を連れたお母さんが居て、な
んか証明書を車掌さんに見せている。何かなと思ったら、ブラジルは誘拐が多いのでこの子は自分の子供
ですっていう証明書を見せていると伊達さんが教えてくれた、なんか少し怖い。
バスがサンパウロから離れて行く。でも、僕としては気持ち悪くてそれどころじゃない感じ。
結局、一時間くらい乗っていたら吐いてしまった。2度吐いて胃の中のものを全部吐き出してしまった。
Cafe Solのおばさん、お姉さんごめんなさい。マンジョーカを沢山食べて、スープも沢山飲んだから、胃
の中でマンジョーカが膨らんで吐いてしまったみたい。車酔いとかはほとんどしない質なので、多分食べ
過ぎ。吐いたら楽になったので、ビリグイまで爆睡してしまった。ふう。

8/22
6:00 ビリグイに到着。ちなみに漢字で書くと「美利具比」昨日見た移民資料館の写真に写っていた。
ビリグイに着いたら、ビリグイの日系人文化協会の会長さんと、副会長さん2人の3人が出迎えてくれた。
朝早いのに申し訳ない。そのままホテルに行って休んで11時からお墓参りに行くことになった。
一寝入りして、9時にホテルのカフェで朝ご飯。なぜかここの朝のビュッフェにはお菓子が沢山並んでる。
ケーキ、ゼリービーンズ、各種クッキー。謎だ。それ以外はサンパウロのホテルの朝ご飯と似たりよった
り。
バスの中で寝たし、ホテルでも一寝入りできたのでおいしく朝ご飯は頂けた。まあ、昨日の晩飯は綺麗さ
っぱり吐いてしまったから当たり前か。ビリグイの町が明るくなっていてなんとなく見渡せる。サンパウ
ロのホテルと違って外がよく見えるカフェなのでとても気持ちがいい。のどかな町の風景だ。
食休みをしたら、今回の旅の唯一無二の目的のお墓参りに行く。2人の副会長さんに車に乗っけてもらっ
て、セメタリヨ デ サウダーデという墓地にむかう。
お墓は土葬で大きな長方形の台というか蓋の上に、古くなって割れてしまった十字架がおいてあった。割
れてしまった十字架にはOgawa Wtaruと書いてあった。
80年前にこの地で僕のひいばあちゃんの姉の夫である小川さんは死んだんだ。
実際、血は繋がってないのだけど、何故か不思議とホッとした。お墓が見つかったんだっていう実感が沸
いた。(まあ、僕は探したりしては居ないのだけど)
お線香あげて、みんなで写真を撮って、今度は大叔父さんを埋葬してくれてお墓を保存していてくれた人
の家に行く。
埋葬してくれた方も医者だったそうだ。でも、すでに亡くなっていて変わりにその妻のリンダさんが少し
話しをしてくれた。
お墓は永久にこのまま保存しておくから、安心して下さい。とリンダさんは言ってくれた。三婆たちがも
う一度来るのはえらい大変だろうから、次は僕が来なくちゃ行けないのかも知れないなあ。
無事にお墓参りも済ませて肩の荷がみんな下りたようだ。僕も少し肩の荷が下りた気がする。でも、まだ
旅程の半分も過ぎてないのだよなあ。憂鬱。
お昼は会長さん達お勧めのお店で食べる、ブラジル料理のバイキングみたいなお店。こういう店がこの国
には多いみたいだ。好きなだけとれるし、美味しいし、いいな。僕は残すのがあまり好きじゃないから、
とってもいい。御飯を食べたらホテルに戻った。
三婆達はお昼寝。
僕はビリグイの町を散策に出かけた。町の雰囲気がサンパウロと全然違って安全で住みやすい町のようだ。
大体、町に落書きがない。てくてくと歩いて町の中心街に出る。大きな教会があった。感じの良い教会な
ので入って見たかったけど、入り口はしまったまんまだ。日曜のミサまでは閉まってるのかな?残念だ。
ポルトガル語が話せればその辺の人を捕まえて聞けるのにな。仕方ないから、また町をブラブラする。
街は老人と子供が沢山居た。お店の店員さんは若い人が多かった。ビリグイは小さい町で人口が10万人
だそうだ。ちなみに隣町まで25キロくらいあるのでその範囲の中に10万人。人口密度低いなあ。多分、
僕が今まで行った国の町で一番人口密度が低いかも知れない。気のせいかな。
そういえば、持ってきてるのが冬の用意をしてきたからTシャツの替えが少ないので、買っておこうと思
い、洋服屋さんに行く。ワゴンに3.90レアルって書いてあるのの中から紺色の無地のTシャツを買うた
めに店に入った。なんかポルトガル語で話しかけてきたけど、わからないので「わからないや。ポルトガ
ル語は・・・ごめんね」って言ったら少し困った顔をしてから、ジェスチャーで奥に試着室があるから着
てみなよって言ってくれた。
試着室で着てみたら、ぴったりのサイズだったので買うことにした。レジでもやっぱりポルトガル語。当
たり前だけど・・・やっぱりさっきと同じ事を言った。でも、ニコっと笑ってくれてお会計。今のところ
自分が知ってるポルトガル語はオブリガードとチャオだけなので、「オブリガード。チャオ。」と言って、
出ようとしたら「アリガトウ」と言われた。変な感じ。お互いに笑って店を出てきた。こんなのは少し楽
しいよね。
そのまま暑い中歩いてたので、近所のアイス屋さんでアイスを買う。パパイヤのアイスを買った。とって
も量が多い。店員さんの後ろの壁を見たら、200ml・・・1レアル。うーん多いわけだ。しかも、サ
ービスしてくれたみたいで、いれものからあからさまに多く零れそうな量を入れてくれた。嬉しいやら哀
しいやら。
なんかブラジルではこういう事が多くて、いい気分。もしかしていい男?(笑)まあ、どっちでもいいけ
ど。でも嬉しい。
なんとか食べきって、ホテルに戻る。
一寝入りしてから、夜御飯。
体育館みたいな会館に行って婦人会の方々に夕食をご馳走になる。
ブラジル日系人風のすき焼き。
白滝の代わりにラーメンみたいな縮れ麺が入ってたり、春菊の代わりブロッコリー。少し具は違うけど、
しっかりすき焼きだった。会館には天井にミラーボールが吊ってあったり、炊事場が付いてたり、舞台が
あったりと、少し不思議な感じの建物だ。そこの隅っこにテーブルを沢山並べてみんなで食事。人が沢山
居て覚えられないや。
会長さんの丁寧な乾杯の挨拶をしてもらって、みんなで御飯を食べた。
食べ終わってしばらくみんなで話しをして、お礼を言ってホテルに戻った、疲れて瞼が・・・

8/23
今日はビリグイから帰る日だ。
昨日来たばかりだと言うのに・・・僕は結構この町が気に入ってたのになあ。
solbe(アイスクリーム)屋さんの綺麗な女の子と少し仲良くなったのに、勿体ない(笑)
まあ、そんなことを言っても仕方ない。
昨日は疲れのためかばっちり10時から朝6時まで睡眠をとってしまった。死体のように寝てしまった。
今日は二婆はほっといてばあちゃんと一緒に朝ご飯。ここの朝ご飯はシンプルなんだけど、何故かお菓子
が沢山ならんでるのが謎だ。朝からケーキは無いだろう・・・と思いつつ、朝ご飯。
パンにクリームチーズとハムを挟んで食べた。とても美味しい。欧米は肉やチーズはとても美味しい。
まあ、日本で米がうまいのと同じ事だろうけど。とても嬉しいことにはかわりはない。
のんびり一時間くらいかけて御飯を食べていたら、二婆も起きてきた。二婆はこっちの部屋の人を起こそ
うかどうしようか考えて、やめて上がってきたら僕らが御飯を食べていたのでびっくりしていた。
二婆が御飯を食べ終わるのを待ってから、ビリグイの街を散歩。
とは言ってもまだ9時なので、空いてる店もまばらだ。
ここの人たちはサンパウロみたいな大都市と違ってのんびりしてて、とても感じがいい人たちが多いから、
婆様三人連れて散歩に行っても大して気を張らなくてよくて、とっても楽だ。昨日1人で散歩した時も楽
しいなと思ってたけど、のんびりしてて時間がゆっくり流れてる。日本みたいにコンビニがあったりしな
いし、自販機もなく、日本の昔の田舎町を思出す。そういえばイギリスのウェールズもこんな感じだった
な。
町の中心を一通り散歩して、町の真ん中にある公園で婆さんを休憩がてら、ベンチに座らせて僕は1人で
少し歩いた。
昨日Tシャツを買ったお店には昨日の店員さんは見えなかった。今日でもう帰っちゃうんだって言って帰
りたかったな。
言葉がわからないよって言っても親切にしてくれたし、印象が良かったから、そういう思いは旅の大事な
記憶になるよな。
とか少し感傷に浸りながら、婆さんの所に行ったら昔話に花が咲いていた。まったく老人は会話で快楽を
得るってのは本当だな。楽しそうだ。
気温も高くて日差しも強いので、暑さにやられてないかと少し心配だったので、solbe teria(アイス屋)
に行ってアイスを買って来てあげる。バニラが食べたいとウチのばあちゃんが言ったのでcremeってい
うのと、昨日僕が食べたパパイヤのアイスを買ってきた。二つまではトッピングしてくれるっていうのが
わかった。言葉が分からなくても意味はわかるもんだね。とりあえず一つ、それを買って戻る。
一つしか買って来なかったので三婆はブーブー言っていたが、よくよく量を見て丁度いいことに気が付い
たようだ。昨日よくひとりでこんなに食べられたな。。。
よく考えたら自分の分を買うのを忘れたので、もう一つ買いに戻る。今度はマンゴーの入ってるのと、ブ
ルーアイスっていうなんか体に悪そうな色をしたの。買って、お店を出た所で視線を感じたので振り返っ
たら、お店のお姉さんがこっちを見てたので「チャオ!」って手を振った。ニコニコ笑って手を振って、
チャオ!なんか、少し幸せ。
アイスを食べ終わったら、今度は三婆は鞄やが見たいと言って鞄を見に言った。
僕はタバコを吸ってから少し遅れて行ったんだけど、婆さん達言葉が分からなくて店員さん達を困らせて
いた。それでも、欲しいものはちゃんと見てるから、婆様たち恐るべしだ。生きてると表現力っていうの
は自然とつくのかも知れないな。
でも、結局買う段になったら僕が面倒を見る羽目になった。まあ、そういう役回りだ。
ばあちゃんの妹がお金をホテルにおいてきたとか言ってるので、お金を貸したら、
「あ、あたし持ってるわ。お腹の鞄に入ってる」と言ってゴソゴソやって、出て来たのはドルだった(笑)
それじゃ買えないよ。。。
ま、そんなことがありつつ、みんな思い思いのものが買えて満足したようだ。
ホテルにてくてくとまた戻る。疲れたので少し横になる。

午後?
今日は11時から、ここの婦人会の人たちがまた御飯を作ってくれるそうだ。嬉しいけど、歓迎され疲れ
てしまう。こんなのは贅沢だよな。ごめんなさい。

昨日行った体育館みたいな会館にまた行って御飯を頂く。
お煮染めと、厚揚げと、肉の焼いたの。それに御飯。おみそ汁。
体育館みたいな所でみんなで御飯。今日でここにお別れは寂しいな。
婦人会の方々はみんなばあちゃんと母さんの間くらいの年で、若い男に会うのは久しぶりみたいで、僕の
近所にみんな座ってお話し。ポルトガル語をいくつか教えてもらいながら御飯を食べた。
アヴォ=じいちゃん。アボ=ばあちゃん。ネット=孫。ミ=私。ゴストーゾ=美味しい・気持ちいい。バ
ヒガ シェイヨ=お腹一杯。シェダ=たくさん。ダボン=そう(肯定)。ボンジーア=おはよう。ボアタ
イ=こんにちわ。ボアノイチ=こんばんわ・おやすみなさい。
御飯が終わったら、日系人文化協会の方々のカラオケを聴かされた。正直うちの連中はどうにもカラオケ
とかは好きじゃないので少し困った。
そのあと副会長の大森さんちに行って、木に直接実がなる珍しい果実を見に行った。名前は忘れてしまっ
た。こまったことだ。
なんか、とっても不思議な感じの木だった。正直見た目は気持ちいいものではない。これは見たことがな
いものというか、自分の常識の範疇の外にあるから感じる気持ち悪さかな。でも、面白い。不思議な木だ。
もう1人の副会長の松崎さんに一つ二つ取ってもらって食べてみた。なんとも言えないけど、美味しかっ
た。種が大きくて食べるというよりも、味を少し見て捨てる感じ。食べる所はあんまりなかった。種のあ
る葡萄みたいな味だった。少し酸っぱくてなんか懐かしい味がした。
大森さんちを出て、今度はお墓に行って最後の挨拶。なんとも悔やまれるのはやっぱり2、3日ここにい
るべきだったのではなかろうかということ。お墓にまた来れるといいなと思ってます。また来たら、今度
はゆっくり居てお花でも献花しますって言って来た。実際にはこの叔父さんと僕は血のつながりはないん
だけど、自分の使命というか、そういうものを持って生きてきたっていう所で少し共感するところもあっ
たりして。
短い別れの挨拶をお墓にして、会館に戻って荷物を取って、バスの発車場へ。
少し待ってると、バスが来た。
せっかく気に入った町なのにもう離れなくてはならないのがとっても名残惜しい。
副会長の松崎さんは僕の事が気に入ってくれたみたいで、またおいでよって言ってくれた。しかもバスの
中まで見送りに来てくれた。来年か再来年にでも2週間くらい休みを取ってビリグイに休暇に来たいな。
のんびりしてていいところだし。
ヴォンヴォヤッジ
そうこう言ってる間にバスが発車してしまった。長い長い旅の始まりだ。
婆様達は大丈夫かな。今度は食べ過ぎてないから吐かないで済むだろう。
行きは夜行だったけど、今度は昼間だから景色を見ながらのんびり。
景色は真っ赤な赤土にオレンジの夕焼けが少し強く当たって、とても綺麗な風景だ。前はひたすらまっす
ぐな道が続く。少し映画の中みたいな景色だ。それでいて、町の中に入ると今度は赤いレンガを積み上げ
た家が並ぶ。夕焼けに映えるなんだか何かの塔のような蟻塚。いくつもの町を通り過ぎて行く間に夜にな
った頃にサンパウロに帰って来た。
喧噪や貧窮、悪意、いろんな人の匂いがする。少し落胆。ビリグイに居たかったな。
バスを降りると伊達さんが待っててくれた。
なんとかホテルまで戻ってきて、夜御飯を食べることに、近所のマクドナルドに行って夕飯。どうもジャ
ンクだ。
戻ってきてからの帰り道に伊達さんに欲しいとか、そういう単語を習う。
ミ ダ=下さい。ケロ=欲しい。
伊達さんについてもらって食事を買った。伊達さんがお店の女の子に「この人は今ポルトガル語を勉強し
てるんだよ」って言ってくれた。いくつくらいかな?多分15、6歳の笑うと可愛い女の子(まあ笑って
可愛くない子も辛いか、いやでもホントに可愛いんだって)だった。長く居るの?って聞かれたけど、何
言ってるか解らないで困ってたら伊達さんが助け船出してくれた。面白がられてるみたい。ま、いいか。
楽しいし。
買うものが終わってまたチャオ!
みんなで部屋でマクドナルドを食べて、そのままボアノイチ。

8/24
今日は何も予定が無い日。
昨日帰ってきたばかりなので、疲れたので何もしないことにした。正解だよな。
9時くらいに起きて、朝ご飯を食べる。
カフェの入り口で、ばあちゃん寝ぼけてたのか、ガラスの閉まってる扉の方から入ろうとして、ぶつかっ
てしまう。
鼻が痛いとか言ってたけど、鼻血も出なかったし、大事無くてよかった。しかし、ホテルの人にまで笑わ
れてた。
朝ご飯をささっと済ませて、三婆はカフェの前のソファで昔話に花を咲かせている。しかし、よく喋るよ
な。
僕はとりあえず、もう一度ベッドに潜り込んだ。
矢先に、ベッドメイキングの人が来てしまった。何故かトリプルの部屋に泊まってるので使ってないベッ
ドでまた寝た。
もう一寝入りしていたら、お昼の時間だって起こされた。なんか食べてばかりだ。
仕方ないから、またとなりのビュッフェに行く。
ささっと昼ご飯を食べて、ばあちゃんはお昼寝だ。
僕は二婆を連れて、お買い物。ばあちゃんの妹の方が荷物のカートが欲しいそうで、探しに行く。サンパ
ウロの中心地の近所の日曜雑貨のお店に行ってやっと見つけて買った。買い物に行く最中で、街娼らしき
お姉さんに声をかけられる。付け入るスキがありそうなのか、そのおねえさんの好みなのか分からないけ
ど、少しつきまとわれた。美人だけど、なんかお水特有の匂いっていうか雰囲気がする。僕は苦手。でも、
二婆が居なかったら話しを聞いてみても面白いかなって思った。冷やかしはいけないかな?今はそうも行
かないのでバイバイした。
買い物を済ませてホテルの近所まで戻ってきた。ホテルの前の広場で市が立ってたので二婆達はそこを見
に行った。まさかホテルの前で迷子にはならないだろうってことで、ほっといて自分の買い物に行く。
CDショップを二軒廻ってCDを探す。相変わらず言葉は読めないし分かんないんだけど、面白そうなの
を2枚見つけて買ってみた。どうも僕が欲しいタイプのCDはあまり売ってないみたい。
戻りがけにCafe Solに行って、カプチーノを飲む。美味しい。今日のサービスはシナモンだった(笑)飲
んでたら、今度はお店の子に美味しいかって聞かれたので、ゴストーゾって答えた。喜んでいた。ハッピ
ーな感じ。
ホテルに戻って、だらだらしてるともう夜御飯の時間になっていた。イチリキ(隣のビュッフェ)もCafe
Solも早じまいみたい。心配になりつつホテルのおねえさんに聞いた中華に行く。店閉まってたらどうし
よう・・・
別段問題なく店は開いていた。でも、僕らの他に二組しか客が居なかった。こんなに繁盛してなくて大丈
夫かなと思うくらい。でも、一つ一つの値段がかなりいいお値段なので普通の人はそうしょっちゅうは来
れないだろうなっていうお店だった。お値段の方は張るけれど、美味しい中華料理でした。
すぶたと八宝菜と細切り肉そば、それと炒飯。春巻を二つ。
でも、信じられないくらいの量が出てきた。ちょっとどう考えても多すぎって感じ。一抱えもある皿に一
杯の八宝菜。バケツみたいな器に山のような炒飯。半分くらい食べた所でギブアップした。
途中、店の中庭みたいなところにある竹林にいきなり雨がふってきた。びっくりして外を見たけど雨なん
か降ってなかった。アトラクションだったらしい。
またてくてくホテルまで戻ってきて、ホテルのフロントのお姉さんにお礼を言った。
デザートを食べなかったので、なんか甘いものって思って、1人でマクドナルドに行った。
昨日の女の子が、アイスクリームスタンドの売り子をしていたのでソフトクリームを一つ買った。
今日はのんびりしたいい一日だったな。ポルトガル語をもう少し勉強したいけど、もうすぐ帰るんだよな。
俺。
ホテルに戻って、少しだらだらと買ってきたCDを聞きながら寝ることにする。

8/25
結局、昨日はなんとなく映画を見てしまった。
カナダ映画の「way to down town」っていうシュールな映画を見てたら、3時くらいになってしまった。
8;00 起きた。
ゴソゴソとシャワーを浴びて、溜まってる洗濯物をした。この国にはコインランドリーとかって無いらし
い。歩いてても見ないし。聞いてもみんな知らないって言うし。風呂に入るついでに洗濯物。
ジーンズとかを洗っても、空気が乾いてるからすぐに乾く。良い感じ。
三婆はNHKで「利家とまつ」を見てる。リアルタイムでNHKのBSをテレビでやってるのだ。異国情緒
なにもあったもんじゃないよな。
9:00 見終わった所で御飯を食べに行く。
10:00 御飯を食べて、睡眠不足のためもう一度ベッドへ。眠い。少し寝た。
11:00 こないだのガイドの松本さんにまた市内観光を頼んである。サンパウロは広いから車がないと観
光すら出来ない。まあ、地下鉄に乗るっていうのが安全でいいのだろうけど、婆さん三人連れて地下鉄っ
ていうのものねえ。自分1人ならきっとプラプラいろんな所に遊びに行くのだろうけど。
今日の観光コースはまず市場。ファーレとか言うらしい。いまいちうまく聞き取れなかったんだけど多分
あってると思う。
街の一角が野菜や肉やフルーツの市場になってるのだ。かなり広い。
ぶらぶらと市場の中を歩き回った。結構面白い。不思議なのは日本野菜。和茄子、ポンカン。とかが並ん
でること。日系人が普及させたそうだ。この国の農業には日本人はとても深く関係してるのがよく分かる。
豆腐や焼きそばとかそういうものも売っていた。おみやげに日本にここのフルーツを持って帰りたいくら
いこの国の野菜やフルーツはうまい。日本で野菜が食べられなくなりそうだ。
市場を見たら、今度はサンパウロの田園調布とでも言うような所に行く。
ここは車でぐるぐるっと見て回るだけなんだけど、とにかくでかい、すごい。セキュリティもスゴい。
必ず玄関の所にマジックミラーの警備員の詰め所が付いてるし、通りにも街のセキュリティのためのポリ
スボックスとは別のセキュリティの係の人が詰めてる。
もちろん門の中にも外にも警備員がいる。どの家もだ。雇ってる警備員の数だけど一戸につき6人とかだ
ろう。恐るべし。メイドとか料理人とかも合わせるときっと10人は最低でも人を雇ってる感じの家がサ
ンパウロのはずれの丘に何十軒とあるんだから、びっくり。貧富の差が激しいなと思ったよ。すごい家だ
と家の中にサッカー場があって、テニスコート、プール、ヘリポート。何考えてるんだか・・・
12:00 サンパウロのサッカースタジアムに行く。まさか入れないかな?と思ってたけど、中に入れてく
れた。今日は試合がないそうだ。感激。
入り口を通り挟んで向い側にユニフォームを売ってる露店があったのでサンパウロFCのユニフォームを
買う。記念にいいかなって。ばあちゃんの従姉妹は孫のために代表チームのユニフォームを買っていった。
13:00 豪邸街の丘の中でサンパウロが見渡せる景色が良いところに連れて行ってもらう。離れて見ると
サンパウロは丘や谷が多いところだ。サンパウロの街中では自転車をあまり見ないのだけど、こんだけ坂
が多いと自転車は厳しいよなって思った。
14:00 ブラジル広島県人会に着いた。
広島県人会は今回の旅で随分いろいろと世話をしてくれた方々だ。伊達さんは広島県人会の方。死んだ叔
父さんは広島に籍があったので広島県人会の方々がいろいろと力になってくれている。ホントにありがた
いことだ。
今日は広島県人会はバザーやっている。いろいろとブラジルの昔の話しを聞いたり御飯をご馳走になった
りした。
16:00 ホテルに戻ってきた。
ホテルの前のリベルダーデ駅のまえにマーケットがたっていたのでみんなで少しぶらついてから、ホテル
のもどる。三婆たちはそのまま昼寝。少しお疲れのようです。
僕は、そのままマーケットをぶらついて面白そうなものを物色した。
ハンドメイドのアクセサリーを作ってるお店のチョーカーが気に入って買う。
とても感じのお姉さんだった。節度があるっていうか、買えー!!っていうオーラが出てないし、気に入
ったどうぞ、無理には勧めないけど。っていう感じのスタンスが好感をもてた。
ホテルに戻って、ばあちゃんに自慢したらあたしも欲しいってことになったので、そろそろ店の片づけに
入ってるお姉さんを待って待ってって言って、買い物をさせてもらう。ばあちゃんは気に入ったのが随分
多いのでなやんでいたけど、お土産を含めて結構多い量を買った。
お姉さんと名刺交換をしてお店を後にした。しかし、面白いねえさんだったな。
その後近所のパンやに行って、明日の朝ごはんを買う。ついでに今日の夜ごはんも買うことにした。
ちょっと昼ご飯が重かったので、今日はパンでいいかなっていうことになった。
パン屋に行ったら日系のお店だったのだけど、レジのお姉さんに日本語で話しかけられてちょっとびっく
りした。こっちの日系の人たちは日本語を喋れない人が多いので、最初は何語だかわからなかった。
日系人のお店なのだけど、働いてるのは中国系の人だったのでまさか日本語わからないだろうって思って
たから、よけいにびっくりした。
耳がだんだんこっちの言葉に慣れてきているらしく、日本語を喋れる人とそれ以外の人相手だと頭の回路
が変わっているらしい。そういえばイギリス行ってた時も英語から日本語に戻すのが大変だったな。
明日は5時起きだ。イグアスかあ、、、行きたくねーなぁ。

8/26
お日さまが出勤前の朝5時に叩きおこされて、Brasil南部のイグアスへ向かう。
正直無謀だよな、このスケジュール。だいたい日帰りだし。4人合わせて270歳だもの。しかも僕も入
れて。飛行機乗って日帰りなんて。
ま、仕方ないよな。決まってるし。
次からの付き添いはちゃんとスケジュールを入念にチェックしないといけないな。
と、いうようなことを考えていたら、いつもの松本さんが迎えに来てくれた。(笑)
イグアスにこれから向かうんだけど、外に出たら真っ暗だった。まだ夜だよ…
こないだ日本から来た空港まで行く。道沿いに貧民層の人たちが住んでいる家がずーっと丘の斜面に沿っ
てならんでいる。なんかとっても切ない絵だ。なんでだろう。貧民層の人たちの暮らしも治安も尋常じゃ
なく悪いそうだ。寒そうな(と、言っても日本の秋くらいの寒さ)朝の空気の中の貧民層はひっそりとし
ていた。
そんなことを話ながら、空港に付く。うっすら明るいけどやっぱり暗い感じだ。まだ飛行機の時間まで1
時間はある。
空港の中に入ってチェックインして、しばらくロビーで待ってから、空港のラウンジに入る。松本さんと
はここでお別れ。また、戻ってくる時に迎えにきてくれる予定。
なんかアナウンスが流れてるけど、ポルトガル語なので全然わからない。。。と思ってたら、英語だった。
気が付いたときにはアナウンスが終わってたのでなんだかわからなかった。
しかし、今、少しでも外国の言葉がわかるのは僕だけ。不安だなあ。。。
そう思って昨日買ったパンを食べながらラウンジで待っていた。
時間になっても搭乗案内が来ない。なぜだ。
聞き逃したか、待ってるところ間違えたか…
やばいなあ。。。仕方ないのでグランド・アテンダントのお姉さんに声をかけてみる。どうやら、飛行機が
遅れているらしい、理由はなんかのトラブルだけど詳しく聞いてもわかんないので待つことにした。
延々と待って、やっとこ飛行機が来た。
実はこの飛行機は乗り継ぎ便でサンパウロ、クリチバ、イグアスっていう乗り継ぎになる。はたして問題
なのは、クリチバで一回降りるのかどうかっていうことだ。
ま、なんとかなるだろう…って思ってたら、気が付くと飛行機は高度をガンガンあげて飛んでいた。
ブラジルの地面は赤いから、緑と赤のコントラストがとても奇麗だなあってなことを思ってる間にクリチ
バに着いてしまった。
結局、クリチバでは降りないそのままの状態で乗り継ぎだった。
ふう一安心。
イグアスに無事到着。

イグアス観光。
イグアスはアンゼンチンとブラジルとパラグアイの国境付近にある小さな街だ。
イグアスの名所は世界遺産に指定されているジャングルとその中にある、イグアスの滝。それから、パラ
グアイに向かってパラナ川にかかっている友情の橋。
パラグアイとの国境に流れるパラナ川を跨ぐ橋。国境を越えるととてつもなく物価が安いそうだ。電化製
品とかもとても多いので、サンパウロから買い付けに行く人も多いらしい。
なので、観光名所なのに激烈な渋滞が越えるのに数時間かかるそうだ。そんな長さでもないのに。時速5
キロくらいで延々と渋滞。僕らは日帰りなので、なんとなく渋滞を見て戻る。
イグアス川とパラナ川のぶつかるところはちょうどアルゼンチンとパラグアイとブラジルの国境になっ
ていて、そこに行った。でっっかい川とでっかい川がただぶつかってるところっていってしまうと失礼だ
けどそんな感じ。
でも、この川をどっちに渡っても別の言語圏っていうのはとっても不思議。
っていうわけで、今回の目玉。イグアスの滝へ。
全幅4キロ。最大落差84m。のでっかい滝へ。
この滝はアルゼンチンとブラジルの間にあって、滝そのものはアルゼンチン側からブラジルに向かって落
ちてる感じ。川を斜めに切って滝があるのでそういう絵になるわけだ。
アルゼンチン側から見ると滝の真上から、落ちるところが見れるらしいけど、怖いからブラジル側だけで
いいやって感じ。
車で行けるところまで行って、えっちらおっちら3婆をつれて滝に向かう結構アップダウンが激しくて大
変だ。
なんとか、滝に到着。
すげー。
すげーよ。っていうしかない瀑布だ。滝は4キロにも渡って延々と続いているのだけど、一番奥にある悪
魔ののど笛っていう名前の滝は特にすごい。
水しぶきがすごくてそこら中に虹がかかってる。
下の方を見ると、観光用の川のぼりのボートが来てて、滝にぎりぎりまで近付いてた。あれも怖いからい
いや…
しばらくみんなで惚けて滝を見てから、帰ることにした。
まだ夕方だけど、国内でも時差が一時間あるので戻ったらかなりいい時間になってることだろうっていう
感じ。

8/27
さすがに婆さんたちは昨日のイグアスがこたえたらしい。
みんな起きたら9時過ぎていた。なんとなく朝食をとってぼーっとしていたら、広島県人会の伊達さんた
ちが迎えにきて、ランチを食べることになった。ブラジル風のバイキングみたいな料理。
肉がとってもおいしい。
ご飯を食べたら、副会長の落久保さんの家に少し寄って、落久保夫人とイグラクエラのショッピングセン
ターに行く。
ちらほら買い物をして、その辺でお茶を飲みながら落久保夫人とひとしきりいろんな話をした。日本の道
徳の話をしたり、ブラジルの話。落久保夫人はとっても頭のいい気さくないい人だった。
一旦、落久保さんの家に行ってから、今度は落久保さんとご飯を食べに行く。
ランチが結構重いものだったので、夜はおそばとかつるつるっと流し込んでおしまいにしようと言う話に
なって、ブラジルの和食のお店に行った。結構いける。
ホテルに戻ってから、婆さんたちは寝てしまい。
僕は日系の3世のファウストさんに夜遊びにつれて行ってもらった。
しかし、残念ながら、平日なのでどこもバーは早仕舞いで全然遊べなかった。
でも、ブラジルの夜の街をドライブしたのはここに来て初めてで、とっても楽しかった。夜の街はいろい
ろなものがライトアップしてあったりしてとっても奇麗だった。
日本でなんでこういうのがないのかなって思ったけど、よく考えてみたら日本の企業は一つの建物に一つ
の企業じゃなくて、いろいろな企業が入ってるから、こういうのはやりにくいんだろうなって思った。
バーが不発だったので、サンパウロの街中を一通り車で流してもらった。クラブとかバーに行けなかった
のは残念だけど、とても僕には有意義だったな。

8/28
さてさて、長かったような短かったようなこの旅も今日でおしまい。
なんだけど、今日の飛行機は夜発なので一日結構自由に使える。
さすがにみんな疲れてるみたいで、遅起きになってる。
朝食をとってから、少し休んでぶらぶらする。
それから落久保さんが迎えにきてくれて、ランチを一緒に食べようっていうことになったので、今度は少
し高級なブラジル料理やへ。
肉がとってもうまいけど、おなかにもたれるね。(苦笑)
ランチを食べたら、落久保さんお勧めのSolbeのお店に行く。
ヤシの一種をすって作ったアイスクリームだ。
真っ黒いごまのあんこみたいな見てくれとは違って酸っぱくて少し甘くて不思議な味だけどとってもお
いしい。
ホテルに戻ってみんなで少し買い物に出る。
アガリスク買ったり、プロポリス買ったり、なんか観光客みたいだ。
そんなことをしてる間に一日が終わってしまった。
広島県人会の会長さん、副会長さん、伊達さんが見送りにきてくれた。
飛行場に行ってみんなで少し珈琲を飲んでお別れの挨拶。
10日間の滞在だったけど、ブラジルは広くてなんにも見れないで帰る感じだ。
少しブラジルでも暮らしてみたいなって思った。
暑いからね。暑いの好きだし。
来年も墓参りに来れないかなとそんなことを思いつつ飛行機に乗った。これから一日飛行機の中で暮らす
のか…
Epilogue
無事に飛行機に乗って、日本に到着。
日本の方が気温は低いのに湿度が高いから暑いなあ。
日本の夏だって感じ。
そんなこんなでまた忙しい日本の日常に翻弄される僕が居ます。
どうして日本はこうせわしないかな。帰ってきて明日からまた仕事だなんて…ま、仕方ないか。
海外に行って日本に戻ってくるといつも思うけど、日本はせわしないな。

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