伊藤馨です。
西条市での連続実施期間に突入し、学校としては二校の実施が終わり、三校目が始まりました。
今週は三校目のスタートを切ったところです。
実施の細かい内容は省きますが、どの学校でも学校の受け入れ状態はとてもよい状態で、ワークショップ終了時には今後のこどもたちについての話が必ず出ているという、日常との地続きになっている感じが非常によく出ていて今後のこどもたちの成長が楽しみな状態です。
ここで、ひと段落ついたこともあり、現在の愛媛県西条市で行っているものを私家版ですがまとめてみたいと思います。
・プログラムの趣旨
今年度は、昨年度の終盤から今年度にかけて、こどもたちの間でのいじめやケンカについてのトラブルの報告をよく聞くようになりました。
もちろん、ここ数年同じような事例は耳に入ってきていましたが、その要因のほとんどが多少複雑ではあるにしてもコミュニケーショントラブルの中でも、受容力にあるように受け取っていました。
しかし、ここ最近の様子から聞くと、「発語」という発信力に近いところに問題があるということが明確になってきています。
簡単に例を挙げると。
A君は何かをB君に伝えようとした。
B君はそれが何のことかわからない。
A君は伝わらないことの苛立ちが募る。
B君は聞いているのにわからない苛立ちが募る。
A君がB君をぶってしまった。
A君はB君が悪いというように言っている。
B君はA君が何を言っているかわからないと言った。
というような状態だ。
教諭が状況を把握するために個別に話を聞くが、単なるコミュニケーションの齟齬のように聞こえるが何かがおかしい。
詳しく話を聞いていく中で、お互いに相手をどう思っているのかということを聞いてみた。
A君もB君も相手のことはとても大事な友達であると言っている。
では、なぜ「ぶつ」という行為まで発展したのか。
読み解き方にはいろいろな視点があるかもしれないが、私はこう考えた。
A君は、言いたいことを上手に伝えられなかった。
B君は、わからないということを上手に伝えられなかった。
お互いに持っている思いや考えがあったとしても、それが伝えられないということが起きている。
簡単な言葉を積み上げていくという方法論もあったろうが、彼らはそれらの組み合わせについての「発語」において、問題を抱えているのではないか。
また、これらの要因は周りに大人の人数が多く、自分の意見や考え、思いを口から出さなくても、自分のことをわかってもらえるという環境が作り出したものではないのだろうか。
ということを考えてみました。
昨年度、今年度の前半までは、「聞くこと」にフォーカスを当ててきた。
それは、伝える側の言葉が達者であろうが、稚拙であろうが、聞きながら考えるということをしていけば、おおよその判断がつき結果的に意味が伝わるというように考えていたからだ。
一方で、「伝えること」というのは単に「表現」や「表出」という言葉に置き換えられがちであり、「発語」という言葉を発するという意味合いとはかけ離れていく。表現や表出という言葉から連想できる意味は技術的な要素に置き換えられがちで、その根幹にあるはずの思考や感情までも意識が向かないことが多い。
敢えて、terraceのワークショップにおいて「聞くこと」にフォーカスを当ててきた理由もそこにある。
単なる技術指導では、思考や感情を表に出して伝えるということに結びついていかない。必要なのはそこに「伝えたい何か」があるということに気が付かせることである。
思考のプロセスは鶏が先か卵が先かというような部分が多く、どちらがいいとは言い難い。ただ、少し前までの状況では「聞くこと」に対してのリアクションの中に、思考や感情が伴うということで全体像が見えていた。現在では、その「聞く」ための言葉が伝わってこないということがあるということが起きていると考えた。
そうしたわけで、「伝えること」の中でも「発語」ということにフォーカスを当てることとした。
「発語」についてもいくつかのプロセスを考えた。
現状使っているプログラムでは、「ことば」の書かれたカードを組み合わせて、一つの詩を作るというものである。
こどもたちは、一人にいくつかの「ことば」の書かれたカードを持つ。このことで、こどもたちはまず「ことば」だけを与えられる。
その後、共同作業で詩を作っていく。
形としては、はじめに言葉ありき、次に音になり、それらを積み重ねて、対話、会話というようにステップアップしていくというようなイメージだ。
こどもたちは与えられたカードの「ことば」から、様々な連想が起き、更に他の人が持つカードと組み合わせることで、一つの詩というもの形作っていく。
その後、出来上がった詩を繰り返し様々な読み方をして、自分たちが作った詩の意味について考えていく。
言いかえれば、いくつかの渡されたカードの組み合わせから詩を作り、その詩の意味を考えることによって、ことばについての意識を高めていく。自然とそれらの組み合されたことば「詩」に対して、ことばで対峙していくことになる。
その後の詩についての話し合いや読み方についての話し合いを重ねていく中で、言語によるコミュニケーションは非常に活発になっていく。自分たちが与えられたカードを組み合わせて作った詩という帰属意識があるため。発語が苦手なこどもや特別支援学級のこどもであって、その修正や読み方について、非言語のコミュニケーションも含めて、必ず多寡はあるにしても参加している。
実践例も含めた形になってしまったが、今年度のプログラムの趣旨は、
「ことば」と「からだ」をつないでいく。
である。
上記したのは、初回のプログラムが中心で、「ことば」についての部分が主であるが、この後の2回の実施を通して、ここで積みあげたコミュニケーションの方法論を使って、ことばの身体化を行い、「ことばとからだがつながっている」ということをこどもたちに体感的に理解してもらうためのプログラムである。