先週は、台風直前の奄美大島の宇検村で打ち合わせとワークショップをしてきました。
話をしていて、痛感したことがあって。
それは、奄美大島の宇検村は、日本で三番目に大きな島で。
その中の宇検村はとても小さな行政区域なのだけども。
抱えている問題は、愛媛県や東京の杉並区と変わらないことが多い。
ただ、環境の差があるため、その出方の差がある。
今年度のterraceのワークショップは「ことば」について考えていくことになりそうです。
身体的な発語や、その発語のプロセス、そういうことと、クリエイティブディスカッションを組み合わせて、インプット、アウトプットを意識下に置いて行うことを考えてみたいと思います。
中の人である、MDの伊藤は、こんな感じで今年度後半のワークhショップを考えていきます。
きっと、PDの長谷さんは、これに答えて、面白いワークショップを作ってくれると思います。
それと、関係ないですが、今年度のMD的な野望としては、ワークショップ開催地で「適当に公演をする」です。
なぜ、適当になのかというと、当然ワークショップが主体なので、あまり他のことに時間はかけられません。
ですが、演劇に関わる身としては、ワークショップではなく、演劇を観てもらいたい。そんなに稽古もできないし、きっと打ち合わせしていきなりどーん。みたいなことになるかもしれない。
でも、少しでも創作したものを発表して、観てもらうことを恐れずにしていかないと、いけないと思うのです。
劇場だけで公演を行うのではなく、それ以外の場所でも公演は行った方がいいし。地方に僕らの準備できる時間に見合うサイズの劇場があるわけではないので、知り合いになったカフェとか、学校とかの狭いところでやることになると思うのです。
ただ、作って、みせる。演劇は参加してみるものだということを少しでも伝えていきたいです。
ワークショップの内部発表の時の見学の人と、創作した児童生徒の温度差は参加している度合の差だと思うのです。
その場に参加して、発表を観るのと、ただ発表を受け手として観るのでは観点も変わります。
それは、ある種とても残念なことに思うのです。
ちょっとでも、触れる機会を増やしていくこともこの事業の中で出来ればいいなぁ。と。
ただ、僕だけではできないので、野望なのです。
協力してくれたらうれしいなぁ。やる側でも観る側でも。