愛知県のウィルあいちで行われた、国語問題研究協議会の東日本で第4部会でワークショップをしてきました。
当日は名古屋が実家のメンバーの林も参加して手伝ってくれました。
内容は、敬語を使うシチュエーションを考えて創作するというものでした。
今回は学校教諭の参加者が多かったように思います。
今回の所見だけ、先にあげておきます。
全体的に創作としての出来がいいものであったので、参加者がとても楽しそうだったのが印象的です。
それと、このプログラムはもともと文化庁の「言葉」に関する事業の中の一環で依頼されて宮古島の高校で高校生対象に行われたものでした。その後、横浜国立大学付属中学で中学生対象に書き換えられ、今回初めて大人相手にプログラムを行いました。
さすがに大人ならではのシチュエーションも多かったですが、学生対象と違い社会経験があり、敬語を日常的に使う機会がある人が行う創作となると見える場所、目的がずいぶん変わります。
特に、敬語を上手に使いというのがどちらかというときちんと敬語を使わなくてはいけないという感覚がたってしまうのは学生たちと変わらないのですが、そこに焦点が当たってしまい創作が進まなくなる場面も見受けられました。
最終的な発表は全部で5チームあったのですが、独自の視点や地域性を取り入れたもの、キャラクターを強く押し出したものなどバラエティに富んでいたものが出来、よい作品群だったと思います。
発表の良し悪しが直接ワークショップの可否ではないとは思いますが、面白い作品でかつ敬語についての扱い方や場面についてのディスカッションが順調に行われた成果ではあります。
このプログラムの進行では、必ず付いてきてくださって敬語の使い方、用法についての所見を文化庁の国語調査官の鈴木仁也さんが行ってくれています。その所見の中で、敬語を使う体とそうではない体という身体性の違いについて仰られていました。
演劇というとどうしても表現という形に取られがちなのですが、ことばを語るということは必ず身体性を伴ったものであり、その使い方をわかりやすい形で自覚する機会として演劇ワークショップのような手法はとても有効で、今回の敬語を使う体、使わない体という違いは些細な変化でしかないのですが、これを実演して、観て、振り返るという3段階を踏んで確認できるという意味でも有効な手段足りえるのだと思いました。
ただ、惜しむらく時間が足りなかったのと、学校教育転用やそれについてどうしていくかというステップまでの方法論を語るところまでは進められなかったのが残念です。
教育制度として演劇教育という大上段に構えた形ではなく、学校内でのレクリエーションも兼ねた教育手段の一方法として落とし込んでいく、もしくはPTAまでを巻き込んだ形で、学校教育の周辺分野との融和を図る方法論など、まだ議論の余地は大きく残されているところですので、こういった場でワークショップだけに留まらず、実際の現場に落とし込んでいくということについてのラウンドテーブルを行えれば、さらに可能性が出てくるように思います。
その一方で演劇ワークショップの危険な部分についての知識についての啓蒙もしていく必要があります。これについては、別稿でまた書きたいと思います。