やはり少し雨の日は頭が重い。

少しだけ外を歩いて移動すると、気兼ねしたかのように小降りになる。
さすがに梅雨に晴れが続くのはいろんな意味で問題があるだろう。

思い悩むことのほとんどは他愛のないどうだっていいことなのだと思う。
体の苦痛も心痛もある種のイベントのようなものだ。
大概のことはどうでもいいこと。無常というのは日々のうつろいのことではないか。
その時の選択や方法は、一時的なこととしてしか、個人的なことでしかないのだろう。
ときたまそれが雪だるまのように膨らんで他者を飲み込むが、それらも個の積み重ねでしかない。

社会とは理想として、自立した個の集まりのことだが、実際にはそこまでの社会というのは存在しない。
大衆と称される無自覚に扇動されてしまう輩で成り立っている。

CONTROLABLEな社会。
それが今のこの国だ。

厭世的な気分でもないし、革命的闘士のようなものでもないし、まして謀略史観なんてものでもない。現状から見られる事実の積み上げが答えを出す。最後の形だけでは答えを出してはいけないのだ。
大事なことは始まりについてのこと。
はじまりはなんなのか。
基礎とは。
それこそが次の世界の入り口なのだ。