梅雨に入ったというのに日差しが体を射る。
雨は何よりも苦手だから、この日差しはありがたい。
半袖のシャツに袖を通し、日差しの中を歩く。
昨日折り返した公演は、調子がいい。
ここのところ、日々の日記の数が多い。季節の変わり目の気圧の変化で少し内省的になっているのだろうか。
単純に仕事の移動やメールとメールの間のアイドリングとしての文章なので、あまり関係ない気もしなくもない。
気圧の変化に乗じて、心のざわめきも激しくなる時期でもあるのだが。
昨日発見したことがある。
自分は子供の頃、よく公園巡りをしていた。隣の区の公園に行き、まったく知らない子と遊んでいた。
近い友達がいなかったわけではないが、新しい人や新しい地域を感じたかったのだと思う。
数日通って、慣れてくるとまた他の公園へ移動する。
何がしたかったのかわからないが、同じ顔ぶれや同じシステムに続けて居ることができなかったのだろう。
単純に小さいながら、僕の自我が誰かに認識を固定されるのがいやだったのかもしれない。認識していく過程において相手の情報を固定しがちだ。そうなる前に会わなくなる。そうすることで子供のぼくはきっと何かを保っていた。
生まれながらにしての遊牧の民ということか。
今の生活もほぼ変わらずに生きている。同じところに通うのは苦手だしな。
ただ飽きっぽいだけか?
今はただ地下鉄の冷房に冷えた体を早く暖めたい。