誤解なきよう。

数時間前の日記に書いたことを考えてみる。

きっと反感を持った人も居るんだろうと思う。

そんなことを考えて、続きを書いてみる。

演劇をプロパガンダのカウンターとして、教育に取り入れている国はたくさんある。

きちんとそうだとは明言しないまでも、各国でそういう目的で使われていることは間違いない。

日本は、各国がそうしたことをしているなかなんとなくその点に関して封殺された節がある。

確信がない上に資料が乏しいので、適当なことはいえないのだけど。

占領政策の邪魔になるので、取り入れさせなかったといううがった見方もできる。

ま、そんな妄想はさておき。

実際に活動をしている方を非難するつもりは毛頭ない。

警鐘として、誰かがカウンターとして言い続ける必要はあると思ってる。

そこまで考えているのか?と。

教育と演劇の両方に携わる身としては、自らの思想に生徒を染めるわけにはいかないと今思ってる。

いいことと考えて進めた結果にファシズムがあったことを忘れてはならない。

一生懸命考えた結果が戦争だったということも忘れてはならない。

人は、そんなに賢くない。

だから、事実を受け入れたり、判断したりするツールを扱うものとしては、ニュートラルな立場を貫くべきではないのかと思う。

みんなにそうしろってわけじゃない。

僕だって、戦争はやだし。差別もやだ。

ただ、簡単に答えから進めることは危険なんじゃないかと思うだけだ。

革命では何も変わらない。

伝えること。

その手段。

もっと考えなくてはいけない。

持ってるものを手近に使うことに恐れ持つべきだ。

そう思うのです。