演劇はツール

演劇はツールです。

だから、なんにでも使えます。

ニュートラルなものです。

なぜならツールだからです。

はさみやカッターと同じものです。

だけど、道具としての演劇は地位をまだ確立していません。

それは演劇人たちが今も演劇を思想の道具として使い、社会を変化させようとしているからです。

正直、僕はこの事実が許せません。

そのために失ったものの大きさは計り知れないものがあります。

人としてのあり方をとなえることに異議はないです。

ただ、その方法は演劇にとってどれだけ不幸なことを引き起こしたかを考えてみてほしい。

未だに演劇をするということと、反社会的な行為という意識は多くの世代で息づいています。

演劇が他者性を確認するためのツールのひとつとなりうるものです。

社会的な演劇の地位と演劇人の行為は重なりあうものです。

今ある演劇の社会的な立場をもう一度再考する余地があると思います。思想に利用するのでは、左翼運動に演劇を利用した人たちとやってることは変わらないと思います。

表現活動が思想と結びつくことは社会においてままある現象です。それは表現そのものと思想運動は別のものであるという認識を確立してからするべきなのではないでしょうか。

Artとしての演劇の思想からの独立性について、きちんと論じることや、その方法論の構築などやらなくてはいけないことはきっと今山積みです。

社会のことを考えるのは悪いことだと思いません。

むしろ、とても大事なことです。

そこにメッセージを込めることも大事なことです。

だけど、演劇の未来についても考えるべきではないのでしょうか。

小刀は簡単に人を傷つけます。

人は愚かです。

危険な道具を禁止しようとします。

学校では、小刀の使用は禁止されています。

危険な道具であることは確かです。。

危険な道具の正しい使い方について、学ぶことが必要なのではないでしょうか。

振り回してるだけでは、禁止されるのももっともです。

振り回していませんか?

僕にはわかりません。

でも、とても心配です。