東京スープとブランケット紀行というプロジェクトがひと段落した件について(あるいは喪失について考えた)

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東京スープとブランケット紀行というプロジェクトを行っていた。3月末で一応クローズはした。ま、活動そのものはなんらかの形で続けようと思っているけれども、まだどういうことにするのかは決めていない。

公式サイト http://soupblanket.asia/
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国会図書館アーカイブ http://warp.da.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/10317540/soupblanket.asia/index.html

記録集という形で本にまとめて、テキストも書いてみたものの。
この活動の中で得たものを何か具体的なものに落としていくためには、何らかの方法が必要なんだと思う。それが何かはまだわからない。

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今日、久しぶりにメンバーに会ったら、ものすごい豊かな時間を過ごしていたということと、それによって救われていたことに気が付いた。
スープとブランケットを持ってきたのは、メンバーで自分がそれを受け取る側に居たのだということに気が付いた。

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失ったものの大きさは失ってみないと気が付かない。プロジェクトを続けていく最中で祖母が亡くなってみたり、大事な人が居なくなったり、気に入っていたお店が無くなってみたり、様々な喪失と向き合ってきたつもりであったが、毎月一回の集まりを保証するという行為が無くなるという喪失は予めわかっていたことのはずだが、正直向き合えていなかったのだと思う。

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記録集を四苦八苦して作って行く時間は、あっという間に時間が過ぎていった。
そうして出来上がった記録集を見ると、単に月に一度集まるということにかかる労力はなかなかのものだということがよくわかる。

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日々の暮らしにあるものを誰かと共有し、自分たちがどこから来て、どこに行くのだろうかという命題のすぐそばにある「終焉」というものについて延々と考えることはとても大変であるだけでなく、充実した時間でもあった。
記録集に小山田さんとの夜咄が掲載されているが、その中で「アートでなくても出来ることをアートでやること」という話がある。「アートでは出来ないことをあえてアートという形でやること」という話でもある。
こういう宿題を残したまま、一旦プロジェクトがひと段落する。

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4年間で4冊の本を作った。
この本の中には、子供たちのお悩み相談室に電話をかける子供たちとしての僕たちの姿が克明に描かれていると言ってもいい。
4年間、自分たちの在り様がどういうものなのか。そして、目的を探すアートプロジェクトという入れ子の構造はメビウスの輪のように僕たちを無限回廊へと誘っていかれた。

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このプロジェクトに関わった当初から、東京で江古田を飲み込む。というのが、僕のこのプロジェクトに関わるコンセプトだった。僕の江古田をみんなの江古田に。そして、自分自身もどこに行っても江古田だと感じるものを探す。そうして、プロジェクトが東京全域から、徐々に江古田に着地させる。
結果的に、そのようになって着地はしたのかもしれない。
しれない。というのは、まだ何もかもが宙に浮いたままで、ここからハードな本当にハードな日々が始まるのがわかってしまったからで、今知っていること、あの時にわかっていたことはすべてもう過去になってしまっている。現在を作るためにはしっかりと過去と向き合わなくてはならない。

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ビッグパフェを食べながら、いろいろなことをしようとしていたら、はす向かいに居る森司さんに「どっちも急ぎの案件じゃん」って言われた。
アイスが溶ける前に食べることと、いろいろ考えたり何かをしたりすることは、常に急ぎの案件だな。と、妙に納得した。