島と江古田とハイライト

ここんところ、いろんな島に行っている。
まぁ。本州も島といえば島だけど。
その中でも、青ヶ島と瀬戸内の高松の大島が今年行った島の中では、とりわけいろいろな影響を与えてくれた島だった。
どちらの島でも、考えたことは未来のこと、過去のこと、それらを通してみる今のことだ。
青ヶ島に行くために、様々な準備が必要だったし、行った後も考えることが多い。
大島も同じように、行くための準備がたくさん必要だった。
そして、そこで見たものは、僕にとってはハイライトだったかもしれない。
青ヶ島では台風にあった。大島では宿泊もした。
青ヶ島で台風にあったときに思ったのは、人間というのはなんて心細い存在で、たくましいのだろうか。そんなことを思った。

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大島では、今を生きることを楽しむことは、とても難しいようで、簡単で今できることを今できるようにしかできないっていうことを考えた。
どちらも、自分の中では人生のハイライトに加えたい部分になると思う。
それは、ビッグドラマの要素が多く含まれているからだ。
青ヶ島の人たちや大島の人たちと話すことで得るものが多かった自分には、大きなドラマがあった。
でも、それらは、彼らの日常のほんの一部に過ぎない。
なんでもない日常のこと。

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青ヶ島のドラマはとても古くて、火山が噴火した時の話以降のことしかないけれども、それでもあの小さな火山でできた島の端っこに住んでいる人たちがいる。
大島は、希望して来た人、そうでない人、そういった様々な人たちが閉じ込められていたところだ。
青ヶ島を初めて見たのは、仕事で八丈島に通っている時だった。
海から、台形の島が見えた。どうやって島に上がるのか見当もつかないような形をしていた。
いつか行きたいと思っていた。そうこうして、数年間忘れていた。
思いがけず、今年行くことが出来た。そして、島を見て回ったり、島の人と話をしたりした。
大島に行くことになったのも、今年急に決まった。不思議なことに関わりのある愛媛県の西条市で大島のことを扱った劇を知り合いが上演するというチラシをもらったときは、そこに行くとは思っていなかった。せっかくだから、見ておけばよかったと思った。

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青ヶ島は、250年以上前の噴火で八丈島に全員避難していた。正確には全員ではないが、その物語は割愛する。そして、八丈島から見える青ヶ島を見て、帰りたいという思いを募らせて、環住という形で島に戻ったという歴史がある。
大島は、「らい予防法」という名のもとに島全体が療養施設となっていた。島から見える高松が明るかったであろうな。と島について思ったことが印象的だった。島から出られることもなく亡くなった方も、死んでも帰れなかった人たちもいた。
そんな二つの島が不思議と自分の中で重なった。
青ヶ島の話を聞いていて思ったこと、大島で話を聞いていて思ったこと。
どちらもプロジェクトは別のもので、関わるアーティストも違う。
それでも同じこと感じた。
それは、「時間がない」ということだ。

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青ヶ島では、もう若い世代が居ない。大島はもうお年寄りしかいない。
そして、今と過去を繋ぐための時間はあまり多く残されていない。
そうして、僕はものすごい焦燥感にかられた。
だけども、まだ何をしていいかわからない。今出来ることややれることは、一つはやったけど、そんなことでは足りない何かがある。
僕は自分自身をアーティストだと思っているが、同時にアーティストとのコラボレーターでもあると思っている。二つのプロジェクトの中で、感じた焦燥感をどうしていいかは、まだ何もわからない。
ただ、ぼんやりしていたら、青ヶ島に若い人は入ってこないだろうし、村を残していくための何かはなくなってしまう。大島はもっとビビッドに入所している方々も居なくなってしまう。永遠にだ。
その中で、そこに居た何かを見つけて、少しでも後に残したい。消極的な関わり方ではなくて、より率先して関わりたい。
音でもいい、写真でもいい、映像でもいい。
そこにある何かを残したいと思った。

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青ヶ島と大島でするべきアプローチは全然違うかもしれないが、一方で何かを残さなくてはいけないというところでは同じことなような気もする。
そこで、ものすごい考えていて、いまだに答えが出ていないことがある。
それは、ハイライトになるところを扱うのか、それ以外を扱うのかということだ。
その島のは、それぞれハイライトになるような大きなドラマを抱えている。
でも、僕が焦燥感を感じて、残さなくてはいけないと思ったのはそんなことではなくて、日常のことなのではないかと感じている。
島から戻ってきては、いろんな人に島であったこと、みたことを話してみている。

そうしたら、日本全体の中で急速に失われているものは、僕が思っている速度よりも圧倒的なスピード感で失われている。

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特に、言葉のことで面白いことを聞いた。
高校生くらいの時に地元で使っていた、方言と標準語との間の言葉つかいが出来なくなった。という話を聞いた。方言は方言だけ。標準語は標準語だけ。元は、それらがないまぜになった独特の言葉を使っていたはずなのに、なぜかそういうことになってきた。
とても不思議なことだ。
そして、この言葉のこと。というのは、もしかしたら、今僕が考えてる島のことや、無くなってしまうことについての何かのヒントになるのかもしれない。
そう考えた。
方言話者の人と話すときに、不思議なのだが、近い未来や近い過去の話をするときは方言がおもになるので、わからない言葉が多く出てくるが、遠い未来や遠い過去の話をするときに、文語的な文法になるため、とてもわかりやすくなる。
そんなことも体感した。
これらは、今のところ、とても細い糸でつながっていて、大きく関連性が見えてくることではないが、もしかしたら、一つながりの何かになるのかもしれない。
そんなことを今日も江古田で考えている。
こうやって、島を通して思いを巡らしていくと、日本全体が抱えていること、そしてアートが出来ることはなんなのか。そういうことが見えてくるような気がする。
今の段階では気がする。程度でしかない。
わかっているのは、こういうように体験したことをより多くの人と共有しては、話を聞き、また、話をする。これを繰り返すしかないっていうことだ。
だから、なるべく多くの人にあって、いろんな話をして、何かを見つけなくては。
時間のないあの場所へのフィードバックを急がなくては。
そういう焦りが今ある。
同時に、自分にとってのベースはやっぱり江古田なので、そこへもフィードバック出来る方法はないのか。
そう考えている。

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