国際救助隊

はやく名前変えればいいのにな。
自衛のための軍隊ではないし、自衛するにたる戦力を持つには制約が多すぎるのだからさ。
日本の科学力をもってして2号を作ればいい。2号ぽい海上支援活動用の潜水艦でもいいけど。やっぱ飛んで欲しいよな。
VTOL機であるのは必須。

名前どおりの自衛活動を行うよりも、救助活動を中心な活動がやはり中心であるのは変わりないし。
とはいえ、北海道では常に24時間体制で北からの侵略がないかを常に監視している。そうして安穏な日々が守られているのも事実。

いっそ派手な意匠を施して、正義ではなく、大義や人道を掲げて活動した方が国益になると思うのよね。

そろそろ日本が食いつぶしてきた数々の先人たちの偉業やシステムも枯渇してきている。
現代の日本がもつ信義というものを掲げて、国家としての形を守らないと、某国の植民地扱いからは抜け出せない。

社会生活における人との関係性とも同じことだ。
人が人に認められるためには、なんらかの芯になるものが必要で、それを持てない人の言葉には身体性が伴わない。
身体性が伴わない言葉は伝わらない。事実と実感は違う。
事実を受け止める客観性を伴わない言葉は当然ながら伝わらない。
人は動物として持つ本能を捨てられない。
そこにきちんと伝わる言葉を探して使わないといけない。
大人は子供に話すときに言葉をやさしくする必要はない。自分の中に落ちている言葉をちゃんと使うべきだ。もちろん大人としての宿題として、より多くの言葉でなるべく正確に伝えようとする努力をし続けなくてはいけない。そうしなければ子供の持つ言葉の範囲で分かる言葉から伝わることを受け止められないから。
大人になっても宿題はなくならない。自由にもならない。
次代に残すという生物の宿命を果たすという永遠に終わらない宿題を毎日やらなくてはいけないのだから。
自分の先に繋がるものを見ながら日々をすごさなくては。