不惑

aa-1016-renzheairen昨日は誕生日でありました。

辞書的な意味だと。
ふ‐わく【不惑】
1 物の考え方などに迷いのないこと。
2 《「論語」為政の「四十にして惑わず」から》40歳のこと。
提供元:「デジタル大辞泉」
ていう意味だそうです。
物の考え方の基礎をここまでに固めて、どのように進んでいくのかという基礎的なことに惑わないということだと思います。
細かい運用については、当然懊悩して苦しんでいくことも大事なことです。
基本的な考え方みたいなものは、知らぬ間に終わっている地固めが終わっていて、次のステップに進むということだと思っています。

そんなわけで、40です。
気持ちは高校生のまんまで何も変わってない自分がいいのやら、悪いのやら。
何もわからずに、ただただ前に進むことしか考えてなかった自分は愚かであったと思うけれど、それもいっそ清々しい時間だったと思います。

年齢を重ねるごとに、いや、日を重ねるごとに、世の中を楽しむ多くの術を身に着けていて、今の僕は様々なことがあった上に今の自分が居ます。

ネットワークは思ったよりも発達していて、昔は好事家だけが使っていたものを一般の人たちも使うようになり、様々な人たちと繋がることが出来、昨日も様々な人たちに祝ってもらいました。
繋がりというものをキープできるツールとして、こういうことが起きるようになって、とてもうれしいことでもあります。
世界は僕が思っていたよりも進んでいますが、まだそれらを使いこなすに至ってはいません。

今後も様々なことにチャレンジしていく予定です。
特に、「繋がり」ということから、次に残せる何かを見出していきたいと思います。
演劇は、人と人とがどう関わっていくのかということから、様々な人間のなすことを解析し、人を表す芸術だと思います。
当然、そのことを扱って日々を過ごしていくつもりだけども、それがこの先の私たちに必要な大きな問題にもなるであろうし、日々抱えている課題でもあると思います。

時に、人は何かを手放し、何かを手に入れていきます。
新しい世界の扉を開くカギは常に私たちの手元にあって、その存在になかなか気が付きませんし、その扉を開いたこと自体に気が付くことが出来ません。
インターネットのような距離の離れたことを扱えるネットワークと直接会いに行くという足で稼げるフットワークという超長距離と短距離をつなぐものの中に、今後に残せる可能性みたいなものが少しでも増えていくのではないかと思っています。
きっと今年も無理難題を見つけては、その課題解決をしていくことになっていくと思います。
他力本願でしかなしえないことをしようと常にしているので、今後も多くの人と関わって、力を借りていきたいと思います。

御面倒ですが、もうしばらくはおつきあいくださいませ。

みんなありがとうね。

 

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