神奈川ワークショップ1日目終了。
思っていたよりもうまく進んだ。
面子がよかったかな。座組みにだいぶ助けられた。terraceの面子はもちろんだけど、みんな暖かい対応をしてくれたので、安心して「しゃべってんじゃねぇよ!!!!」と雷も落とせたし。
っていうか、雷親父ポジション確定だよな。毎度だけど。
ガツッと起こってボディブローをかまして、その後静かにさせるっていうのもどうなのかしらね。とは思うのだけどね。
ほんとに。
ワークショップっていうやつは、いわゆる「教え」とは違って協同作業。
今回は281人だそうな。
過去最高人数を相手に協同作業。
よい物を作ろう、掴み取ろうと相手がしない限り、面白いことや味わい深いものは出てこない。
知識の伝道以上のことをワークショップというものは講師にも受講者にも要求される。
場面場面でコントロールしたり、ディレクションをするとしても、それはあくまで協同作業を円滑にするためのものであり、それ以上のことではない。
そんな中で「これくらいでいいや」っていうのは通用しない。生半可でやるとそれが出る。
世の多くの人たちは演劇において、演技は基礎的な要素だと勘違いしているが、演技は手段でしかない。数多ある表現方法の一端でしかない。
全てはプロセスの中の行為がつみあがることで出来上がるのが演劇というものだ。
やり始めてから、上演し、終演までが演劇。
そのプロセスの中に生きることが演劇をすることでもあると思う。
演劇は戯曲を見るのでも、装置を見るのでも、音を聞くのでも、明かりを見るのでもなく。俳優を見るものだ。
俳優の有様から掴み取れるものしか伝わらない。だからこそ、プロセスをどうすごしていくのかということが大切で。毎日の暮らしが大事だったりする。
そこまで伝わればいいとは思うけど。それは時間が居ることだろう。
他者性や自意識に目を向けるきっかけになればいいと思う。
明日は多分面白いものが出来上がるだろう。
ちょっとわくわくする。
が、今は体がぼろぼろだ。
声を出して、立ちっぱなしで気を張るのはさすがに疲れる。早く寝よう。