この国のゆくえ

友人と話をしていて、映画の話から頭ががっつり政治にシフトしてしまった。
この国の大勢は、きっと戦争がしたいんだろう。もしくは武力を持って何かをすれば、いいのだろうと本気で思っているように感じる。

耳ざとくなってしまったのかもしれないけど、公共交通機関や、喫煙所や、喫茶店で耳にする言葉を聞くと。
そうなんじゃないかと感じてしまう。

そのことで、自分がマイノリティなんだって、思い知らされる。

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自分はアクティビストではないし、デモには行かない。
そこでのたたかいは僕にとっての戦場ではないと思うからだ。
ただ、そういうところで前に出る人たちも大事だと思う。

大人と呼ばれる人たちが、様々な権利や義務を負う意味を知らないことは、本来は罪だと思う。
だけど、そうなってしまった今があるならば、そこから立て直すためには何が出来るのか考えないといけないんだよね。

それは、日ごろのちょっとしたことなのかもしれないし。
尊敬や名誉や寛容を心掛けること。
そして、それを言葉ではない何かで伝えていくこと。
可能な限り、記録を残して、伝えていくこと。

 

今、持っているものは、ご先祖さまたちがなんとかして勝ち取ったもので。
っても。それはかれこれ150年も前のことで、みんながその財産を食いつぶしてる間になんとか啓蒙していこう。って、してきたけど、悉くダメだったんだよね。
たまたま、アジアの海に面しているエリアで、日本はどこからも植民地にされることもなく。
周りが弱かったり、運が良かったりして、戦争に勝ったりとかして、国を守ることが出来て。
(ただ、そこで調子に乗ったのがいけなかったけど。)
それでも、復興も早くて。
(これも実際には裏があるけど。)
てな感じで、先頭を走ってるから得られた利益を食いつぶしてて。
どんなものでもパイオニアが得られるものは大きい。
でも、そこで止まったらおしまい。

その間に後ろから走ってきた人たちに、じゃんじゃか追い抜かされてるわけよ。

戦後から、状況なんてのはあんまり変わってなくて、国が持っている資源とかも大して変わってない。
臣民から、国民に変わったのに。
その意味がまだ分かってない。

もういい加減長い時間このことを学ぶ時間を僕らはもらっているのに、いまだに何も出来てない。
人が人で為すものについて、非常に秀でているこの国は、その技術を使う術を相変わらず知らない。
どんなにすごくても使い道がなければ、どうしようもない。
実際には使い道なんてのは、いっぱいあるけど。使えない。

この長いロスタイムの間に捨ててしまったものを、少しでも残していかないといけない。
そのために、今やってることを使えないかしら。
そんなことをひたすら考える。
まだ、何が出来るのかは、わからないんだけどね。

※写真は6月に自分がプランをした公演の客だし明かり。
本には叡智が詰まってる。
ディスプレイではわからないことがいっぱいある。
紙であることが大事。
物理現象としての本。

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