生きるというタスクがもっと大きくて激しかったとき、人はその営
現代の我々の思考や理論は、そういったものの積み重ねの先にある
美しさとはなにか。
この美しいいう漢字も、大きな羊を表している。
この時が作られたときの意味合いから離れ抽象化されて、美という
本来の意味を知ることで、それが時代の背景を知ることにもなり、
それを知らずに使うことは出来る。
ただ、知った上での言葉とは重さが違う。
よく学び、知識を得。
よく話し、教養を得る。
ただ流れてくるものは、ただの情報である。
それらの理論や変遷を学ぶことで、知識となる。
知識は溜め込んでいても、情報を取り込んだだけである。
その知識を他者との交歓によって、使い、もう一歩深めたときには
ただし、我々の時間は短く、すべてを手にいれることは出来ない。
自分の芯となる部分を探し、他者の教養に触れることで、より多く
哲学や美学、芸術に触れることは、自分とは何かという人類の永遠
映画とか演劇とかって、ほんとに知識というか、教
何かの表現に対してのアクトアゲンストするんだったら、ちょっと
そして、それがどうして、その表現を選んだのかを考えなくてはい
考えたり、調べたりは、非常に簡単に出来る。
ただ、その基盤知識は時間をかけて形成しないと作れない。
それでも、簡単に手をだせるところからでいい。
ほんの少しずつでも手に入れる努力をしなくてはいけない。
哲学や美学、芸術、そういった事柄は腹の足しにならないとよく言
それは、最初であり、最後だ。
きっと、獲物を追ったり、様々な作業をしている間に、人が手に入
それを理解することが、生きることの一つの目的。
Yuko Kitabayashi liked this on Facebook.