いや、門外漢なのはわかってるんだけどもさ。
もう、何年も前から考えてることがあって。
地域通貨みたいなことになるのかもしれないんだけど。
商店街や商店会が、よりアソシエートしてパルコみたいなテナント型商店街って、作れないのかな。
売り子の人は、そのアソシエーションで雇って、もともとのお店の人も場所では働く。
現在の商店街の流れが今一つうまく行かなくなった一つの要因として、生活スタイルの多様化により、顧客の来店時間の分散が、一つの問題なんじゃないかと思う。
生活スタイルが違えば、買い物の時間が違う。それを飲み込むためにスーパーはどんどん夜遅くまでやるようになっている。
商店街って、もともと商店が集まることによって、利便性があがる。というか、人が集まるからお店が集まるということが起きた結果だと思うんだわ。
ただ、場所が集まって生活様式をも含めての多様性は基本的に太陽を中心とした時間の流れに乗っかっていて、それ以上の利便性の向上をしていかなかった。
そうこうしている間に、御用聞きみたいなものも町からなくなっていき、気が付いたら商店はシャッターを閉めていっている。
御用聞きを仕事にするのは少し難しい。
日本では、それ単体にお金を払うという概念がないからだ。
そこで、もしも商店が集まって、商店街の中で営業時間が長い店を作れたら、また、そこから御用聞きに回るようなサービスをしたら。
一つのお店で何かをするのは、難しい。
でも、もしかしたら、いくつかの商店が集まって、工夫をすることで、地域性にあった大量購入や販売とは違うシステムが作れるんじゃないだろうか。
もちろん、それらのサービスにお金を払うシステムを作るのは難しい。
販売価格にそれらの手間賃を当然のっけることになる。
それでも客は増えると思う。
地方だけでなく、都内にも、忘れられた商店街はいっぱいある。
今でもやれてるところは、意外とスーパーと補完関係になってやっているところが多い。
日中の時間帯は、主に商店がそれ以降の時間はスーパーが。という形で連携している。
もう10年以上前からだけど、これらの補完関係を崩す大規模店舗の出店が目立つ。
大体、それを受け入れた地域は寂れていく。
地域が、その大規模店舗に飲み込まれる。
この大規模店舗は消費のための場所なので、何か新しいものは生み出さない。
人と人の関係などは、まったくと言っていいほど生み出さない。
野菜は八百屋、肉は肉屋、魚は魚屋、服は服屋。
それらの特化した店舗では、買い物をする側、売る側に関係性がうまれる。
人間は、関係性を確保し続けないと生きてい行けない。
大規模店舗での買い物で嗜好を満たすだけの買い物では、何か空虚なものが残っていく。
それは、消費された人々を生み出す機械であると言ってもいいと思う。
それ以上のものにはならない。
これは搾取の一歩であり、もっとも搾取されている人たちは、搾取されていることに気が付かないまま。
だからこそ、商店というものを見直し、町というものをどう構成していくのかを考え直すためにも、シャッター商店街をなんとかしないといけないのだと思う。
が、やはり門外漢なので、悩ましいと思ってしまうだけで、もんもんとするのであった。