今更だけど、子どもの時からアンチ原発です。
アナーキストだし。
んで、放射線に関しても同様です。
これくらいなら安全ということについては、まったく信用していません。
すべてにおいて最小限に収まるように最大限の努力が必要。
あと、「食べる」「食べない」ですが。
僕は、「食べます」
が、誰かに食べるように強要するのは、ファシスティックな許しがたい行為だと思います。同様に、食べないように強要するのも同様です。
先だって、いくつかの地域の方と話をしましたが、場所によっては「あやしいなぁ。」という地域の食材しか手に入らないということを言っていました。「避けられるなら避けたいんだけども。それしかないからね。」とも。
これって、とても良くないことだと思うのです。
ボランティアをやっている時に、地元の方が差し入れで露地物をくれたときに自分は食べていましたが、他の人でちょっとでも考えるのであれば、食べない方がいいので、食べなくてよいというように差配していました。
正直、検査についてはまったく持って信用なんかしていません。
なんで、そこまでのことを言うのかというと。
あの爆発があった一年半前に、ライブカメラで爆発を見て、市の車のスピーカーから流れる「急いで屋内に待避をして、外出は控えるように」という声を聞き、友人が心配して原子物理学者の仲間に聞いて対処法を教えられ、まんじりともせず、家に籠り、当時の妻との連絡も取れず、いったいどうしたものだろうかと、途方に暮れた一日のことを考え、その後の僕たちが動いてきた道のりを考えると、何一つ信じられることなんてないんだろうと思っています。
見たことがない地域のナンバーの車が行き交い、夜の街の喧騒は聞いたことのない方言が聞こえていた。
例の施設に往復で通うから物資を届けてくれると言っていた人のことや、放射線のことはなかったことにしようとする人や、どうしたらいいかと不安の中で暮らしていた人たちは、状況があまり変わっていないのに、新しいステージに立たされてしまい、今もあそこに居る。
でも、水の支援はやめて、今は東京に居る。
いろんな意味で活動に限界が来ていたからだ。
でも、これからも関わらずにいるわけには行かない。
僕は、僕のスタンスや見方で、見て、関わっていく。
だからと言って、それを誰かに強要しようとは思わない。
一年半たったから。メモ。