芝居のことをいろいろ話す。

昨日に引き続き、断続的に芝居のことを延々と話している。

昨日は、演劇が果たすことの話をしていたけど、今日は演劇の周りにあることや、演技の話をしていた。

僕らはまだ僕らの文脈で何かを話す言葉を持っていない。

それは、僕らの上の世代がやろうとしていたことのある意味つけを払わされているということでもあるのかもしれない。きっと、そんなことはないんだろうけど。どちらにしても、転換していく時期の中にある。

外交や経済や原発や震災や地域だとかコミュニティとかアイデンティティだとか、僕らが抱えている問題は様々でそれらを乗り越えていくための方法は未だない。よりどころとなるものを元々持っていたはずで、未だにそれを手放していないのに、失った気になっている。

演劇をしていく上で、アイデンティティは大事なものだ。

「どこから来て、どこへ行く、何者なのか。まだ何者でもない自分が出来ることをする。」

伊藤馨がどういうルーツとプロセスを経て、今構築されていて、まだ決まった形はなく、だからこそ最大限出来ることをやっていくしかない。これは、自分が師匠に最初にならったことで、ずっと考えながらやっていくことなのだろうなと思う。

僕のアイデンティティの一つは、舞台照明家である。最近知り合った人はなんかのブローカーだったり、プロデューサーだと思っている人も多いみたいだけど、あくまで、舞台照明家である。それ以外はその余禄でやらざる得ないので、やっていること。

話がだいぶ逸れた。昨日、今日の話で出てきたのは、どうやって良いものを作っていくのか。どういうものが作りたいのかという話だった。元々、芝居やることしか能がないので、他の話題を話すことなんてあんまりないのだけど。どの話をしていても結局芝居の話をしてしまうくらい、芝居のことばかりなのだけども。ここのところは、そういう話をいっぱいしている。少し広義に芸術に関わる話をいっぱいしている。

刺激的なことではなく、キャッチーなことでもなく、ただ、面白いと思うことがしたい。

当然、今関わっている芝居のことも面白いから見に来て欲しいけど。それだけじゃなくて。

ちょっとやりたい人だって、がっつりやりたい人だって、関わって何かを作るということをしていきたい。

そのために最低限やらなくてはいけないことがあって、やりたいことややっていることと向き合うこと。しかも、まっすぐ真摯に向き合って、喜びも痛みも知覚しながら進めていくこと。それは、ワークショップでも一緒だし、明かりでも一緒。