今日、いわきで会議があった。
災害対策ボランティアの方を含めた形で、現状把握と災害に対して、どう立ち向かうのかという今更感のある時期ではあるが、そういう会議だった。
少し、時間を戻して、今日いわきに到着した時のことを話そう。
まずは、17:00発の東京駅発。いわき行きのバスに乗り。20:00に平についた。
いわきは相変わらずの風景で、地震があったとか、原発が40キロ先にあるとか、そういうことを感じない空気だった。
放射性物質に色がついていればいいのに。
そう思いながら、スウェーデンの汚染地図を思い浮かべた。
アリオスにつき、旧知の人たちと一緒に今の現状の話を少しして、雑誌が手に入らないという要望から買ってきたアエラとビックコミックを渡した。
それから、いよいよ会議。
温度差がある会議だと感じていたが、本当に温度差がある。
いわき市は、市の行政そのものがまともに機能していない。
災害対策本部や危機管理課から、物資が足りているという情報が入ってくる。
すでに、you tubeなどに上がっているから割愛するが、物資は確かにいっぱいある。
ただし、それらは配られていない。
理由は人手がいないから、だそうだ。
人手がいないなんて、ばかばかしい理由で物資が供給できないなんて。
しかも、対外的には人手は足りているとのたまっている。
市民も何かの勘違いをしている。
水道が60%近く復旧し、ガスや電気も流れてきてる。
この状態で、今から復興しようと言っている。
福島第一原発まで、たったの40キロ先。
屋内退避から自主退避を進めるエリアまで、10キロしか離れてない地域なのに、災害は過ぎたから、復興だとか言っている。
いわき市は、いまだ危機的状況にあり、震災の直後よりも状況は刻々と悪くなっているという事実を知らないわけではない。
SPEEDiのデータも公開された。DOEのデータも出てきた。
すでにいわき市は放射能汚染を日々されている。
そもそも風評被害なんていうのは、行政が作った適当な言い訳でしかない。
そして、それに乗った市民にも大いに責任がある。
普通に考えればわかることだが、物資を運ぶインフラが寸断され、供給元の工場も止まっている状態で、物資なんて来るわけがない。
これが、風評被害と言えるのか。否、これはただの被害者面のレトリックである。
運ぶものがなくて、運ぶ道がないところにモノは運べない。
インフラが回復したら、物資は入ってきた。
店にもモノが入ってくるようになった。
これは、単なる災害時に起きうる寸断状態だっただけであって、風評とは関係がない。
また、たとえ風評が事実だったとしても、今の現状では物資は入ってきている。
それをうまく利用して、物資をいわき市に集めた。
本来なら、もっと北のインフラがまだ回復していなかったり、より厳しい地域に送られてしかるべきだったものも、送られてきたと思う。
これは、大いに反省するべき点だ。
この思考の根幹には自分さえよければいいという意識があったからだ。
そして、それは市民すべてが当事者として、反省するべきところだろう。
さて、それはさておき会議。
今、何が必要で何ができるのかということを2時間近く話した。
最後に近いところで、「復興」という言葉が上がってきた。
いわき市は今「復興」する時期ではない。
なんら問題は解消されず、インフラも整備されていない。
市内の全戸調査もできているわけではないから、一か月後には死体の山が積みあがるかもしれない。
独居老人や一人暮らしの人、日銭で暮らしているアパートやマンションの入居者たし、そういった人たちまでの支援は行き届いていない。
この状況で復興とかいう段階に至ってない。
今も、いわき市は危機的状況にあり、災害に対して立ち向かうべき状態なのは、3月11日から何も変化していない。
どうしようもない状態にあることへの認識がまったくなく、街を復興するために帰ってきてほしいとか、挙句の果てに放射能なんか怖くないぞパフォーマンスまで出てきた。
ほとほと呆れる以外に道がないと思ってしまうが、移動の足がなく、また、逃げ場もなく、避難所にも3600人もの人がいる。こういった人たちをどうやって救うのかということが、第一命題だろう。
それから、放射性物質との戦い。
これは見えないものとの戦いだから、なんとも難しい。
すでに、放射性物質を含んだダストは市内のあらゆるところにある。
空間の放射線量はたかがしれているが、それらが積もっていると考えたほうがいい。
先にあげたパフォーマンスもそうだが、それで死にたい人は勝手にしてもらっていい。ただ、対処して生き延びたい人の方が多いだろう。あまつさえ、避難した人たちを差別までし始めている。リスクを負うのはかまわないが、それを他者にかぶせるのはお門違いだ。
風評被害と言われているが、実質的にもしもそういうドライバーがいたとすれば、彼の選択は正しい。正しくないというのならば、20キロ圏内というよりリスクの高いところに自分が運ぶことが正しい行いであるかどうか、自衛の面から考えてみたほうがいい。それでも運ぶという人がいれば、それは自衛能力が欠如しているか、他のバイアスがかかっているか、もしくは他人事だからだろう。
第一原発からほぼ風下に居続けているいわき市の放射能被害は数値的に見ても少なくない。
いわき市も、いわき市民も、いわき市にある会社も、早急に判断をしなくてはいけないのは、すでに長期化が進んでいる原発問題に対しての対処をどうするのかについての指針を立てなくてはいけない。
残念ながら数週間で肩が付くということにはならない。
チェルノブイリのように、沢山の人員を犠牲にして、コンクリ詰めにすることは出来ないであろうから、まだまだ時間がかかる。
ぱっと見、問題がなさそうに見えるが、見えないものが確実に降ってきている。
微量だとは言われているが、人が一年に浴びている量はこの2週間強ではるかに超えている。特に、平までの平地については、風が吹いたらあっという間にひどい状況になる。
これに対してどうするのかということをきちんと考えて決めなくてはいけない。
退避するための場所はすでに確保されている。何もないなら即逃げるべきだ。
乳児、子どもを抱えている家庭は、早急にどこかへ避難したほうがいい。
そんなわけで、今するべきことを考えてみた。
1 現状が災害に侵されているという状態への認識を持つ。
2 危機的状況は日々悪化している。
この2点を認識してもらうことであろうと思う。
また、「復興」にはまだ早いというもう一つの理由は、外から見たときに、いわき市はまだまだ災害時の状態である。
だからこその支援がある状態であるといってもいい。
災害復旧というフェーズから、復興というフェーズに移行すれば、今の支援は絶たれる可能性がある。というか絶たれる。
被災所難民及び自宅難民の人たちへの支援が先行している間は、災害復旧という段階でしかない。
また、市内のインフラについても復旧の見通しは立っていない。
この状況下で復興するとか言っている場合ではない。
危機的状況をしっかりと理解し、それを乗り越えるための手段を手に入れる必要がある。幸いにして、他県や県内の各地域から、避難についての手も差し伸べられている。
この手を取る手助けをすることも、大事なことだ。
一日でも早くいわき市が立ち直るためには、現状を正しく理解して、今抱えている問題を解決していき、原発問題がクリアになってから、どう都市機能を復旧させて、復興へと持っていくのかという段階を踏んでいく必要がある。
市内での全戸調査をする手が足りなければ、国や他県からの支援を仰ぎ、有料ボランティアを配置すればいい。
物資を配れないなら、自宅で難民生活をしている人たちへの仕事として、有料でボランティアをお願いすればいい。
退避が必要な人たちを外へと運ぶ、有料のボランティアがいてもいい。
情報をまとめて、必要なものが必要な場所に届くのに必要なのは、手際のいい使える人材だ。そういった人たちを有料で雇ってもいいだろう。
それらのことに義捐金を使いたいと言っていやだと言ってくる人たちもいないだろう。
むしろ、それで災害復旧が進み、復興への道筋が出来るのであれば、それこそが、災害と戦うということだろう。
今、いわき市には、そういった仕事が山のようにある。
にも関わらず、物資も人手も足りているというのは、どの口が言えるのかがわからない。
とっても長くなったけど、今日の5時間くらいで仕入れたいわきの現状と状況から見て、
「いわき市は復旧が困難なだけでなく、人命すら危うい危機的な状態にあり、多くの支援が必要とされている。」
ということだ。
そして、それに対しての行政も市民も自覚が全くないということもよくわかった。
市民よ。足があって、逃げられるなら逃げたほうがいい。
かっこつけてる間にも死の灰は降ってきている。