僕はテキストを書くときは基本的にエディタを使う。
文字を書くことに特化したソフトだ。
もともとMacUserなので、テキスト変換が馬鹿でも平気。
なんとなくこまめな変換の癖がついてるし。
さて、今日もエディタで書いてるわけなのだが。
皇太子の基調講演を読んだ。
すごい面白い。
あの人たちのおかげで国が保っていられるのもいつまでなのだろう。
半ば、屍鬼と化したこの国が。
ま、それはそれとして、水サミットでの講演なのだが、これがわかりやすくて面白い。
過去の講演のものも読もうかな。
江戸の水運についての講演面白そうじゃない。
やっぱり、自分は勉強というか、学究が好きなのだと改めて知る。
もっと多くのことを知るために生きているのだから。
知ってどうするってことでもない。
ただ知りたい。
その欲求に忠実なだけ。
今日ご飯を食べていて、カフェにおいてある「Display」っていう本を読んだ。
あ、生きていて自分に今足りないのがartなのだということを知る。
何かが欠落して生きているな。そう考えてはや数ヶ月。
今足りてないのは生み出すことではなくて、吸収することだ。
よいものを見ること。
吸収すること。
目の貯金をする時期なのだ。
どこに行っても、そういうものは手に入る。
何かを見る視点が今、ない。
こういうときは本を読むのがいい。
あ、Pen出てるな。買おう。
後は、小説。
文字は鮮烈なビジュアルイメージを脳裏に作ってくれる。
それからお店にウィンドウショッピングだ。
自分に似合う服を探したり。
人にあげたいものを考えたり。
そういうことをする。
アイデンティティに必要なものは、他人だ。
他者性なくして、アイデンティティは構築できない。
それを目の当たりにするのは、人と何かをすることだけでなく、他者の構築した世界に触れることもそう。
Artってのは、それを体感するチャンス。
Artがいらないなんてのは、どうかしていると思う。
ちょっとしたOSのインターフェイスだって、Artの入り口だし。
そこここにそういうものはある。
ちょっとしたことに潜んでる。
それを自覚した社会なのか、そうじゃないのかで社会の成熟度は変わっていく。
何かが終わって、何かが始まる。
その時期にたまたま居る。
何かのサインが出てる。
今、考えないといけないこと。
自分が何をするのか。
どうするのか。
考えなくちゃいけない。
いつも以上にストイックになったとしても。
もっともっと先に行く。
もっともっと知るために。