何を持って進むのか。

人は何を持って進むのだろう。

ふと、そんなことを考えた。

今、マクベスをやってるが何度か選択のときが来る。

それはどんな戯曲に演劇に関わっていても選択のときというドラマに関わることになる。

その時、どんな物を持つのか、命を奪う短剣か、薬か、決意か、覚悟か、それとも空のみを持ち進むのか。

それぞれによる選択はあるだろう。

また、それは誰と居るのかということにも深く関わっている。

誰と居たからこうなってるのか。

そういうこともある。

だけど、それは過去の選択が今に及んでるだけのことだ。

受け入れるしかない事実でしかなく、そこにあるものは過去から繋がるもの。

決して否定するでもなく、肯定するでもなく受け入れるしかないことなのだと思う。

簡単ではない答えこそがきっと真理に近く、無駄のない答えこそが救いなのかもしれない。

そこには必然があり、偶然はない。

容量を超えるのならば、捨てることも大事な選択だ。

シンプルであること。

ミニマルな世界観の中で、それはある種の正しさを持つかもしれない。

しかし、世界はデコラティブで、ゴシックで、またダダですらある。

そのカオスの中でこそのミニマルなのだ。

そんな面倒なことが表出してきている。

そんなとき、簡単な答えを選択してしまいがちだ。

だが、簡単な答えには思わぬ落とし穴がある。

足元にあるものを見落としてはいけない。

踏みとどまれということではない。

本来あるべき姿はなんなのかを考えて進むこと。

暴力は形のあるものばかりではない。

暴力は自らも傷つける。

暴力は自覚があることばかりではない。

己が持つ力を行使する時、その力を行使する責任について考えるべきだ。

仕方がないことはそんなにないはずだ。他にも手段はあるはずだ。

最初に思いつくことは、落とし穴がある。

他の可能性がないのか考えてから使う方がいい。

話がそれたな。

ちなみに、月並みな無人島に持って行くものは、「人」

たぶん、一人だとなんか生命維持活動をしないように思うのよね。

なので「人」

今日もカオスなおいら。