別に宗教とかは特に信じていない。
生きていくのにあると便利なツール程度のこと。
そういうのではなく。
ま、ときたま自分より高位な存在を感じることがある。
それが僕の中での神様で。
どこにでも居て、どこでも見てる。
お天道さまみたいなもの。
きっと僕は愛されてるのだ。
そう思うときがたまにある。
もちろん、昨日みたいな時間に出会えたり、僕が照明のデザイナーという得体のよくわからない仕事でご飯が食べられたり、また演劇教育とかのコーディネーターなんてのでも、ご飯が食べられていられたりと。
どれも、普通に考えたら生活するのが困難な仕事だと思う。
もともと体も強いたちではないので、(みんな信じないかもしれないけど、相当病弱。ケアの仕方が人と違うだけで、相当ケアしてるのよ。)自分のある程度のリズムを守らないと体がとんでもなく不調になる。
ワーキングプアの典型みたいな仕事をしていても、なんとか日々の糧も得られるし、自分にとって必要な精神の栄養も手に入れられる環境がある。
先だって、稽古見に行った帰りに
「この中で芝居でご飯食べてるのは君だけなんだよ。」
そう言われた。重いな。そう思った。そして、確かにそうだった。
彼我になんの差があるのだろう。
確かにスタッフという立場とこの仕事で食ってくという執念いみたいなことだけではない何かがあるのかもしれない。
そういうときに、「愛されてるな」そう感じる。
ここに居ていいのだという自覚が出てくる。
そして、そこに居る資格を守るための努力を怠ってはいけないと思う。
いまだ誰も見たことのない世界の見せ方を考え、現出させる仕事なのだから。
自分はデザイナーなのだ。
そういう実感と共に少し怖くなる。
演劇だけでなく、演劇教育に関わるときも。
僕はシステムをデザインしてるのだと思う。
限りなく建築に近い状態で、照明をデザインし、演劇教育のシステムをデザインしていく。
どちらも考えてるときには同じような脳の動きがある。
人の流れを見て、美しく無駄のない線、あえて作る淀み、そういったものを頭の中で配置していく。
それが僕の仕事。
そんなことをして生きていることを許されてる僕は神に愛され、また救われているのだと実感する。