劇場で公演をやろう。

劇場で公演をやろう。

っていう、tweetのメモです。

https://twitter.com/xink21/status/1622977044756987904?s=20&t=dfEAMXM1MkBu9sdEMnth6g

 

ということについて、もう少し考えて行こうと思う。
そも、僕が求めている世界というのは演劇を観るのもやるのも等価に近い感覚で触れられる状態というのを考えています。
演劇の公演をしようと言う人が居なければ、観劇は出来ません。当たり前のことです。
いとうけい

演劇は芸術なので、経済や資本主義の原則からはずれているものだという認識が多いと思いますが、実際にはどちらも人の営みの形であり、対立概念だとは思いません。人が人の営みを扱う方法の違いであり、対価というものが存在しうる社会では至極まっとうな考えだと思います。
いとうけい

演劇の対価というものは何かということについて、芸術は消費物としての価値とは違うものだということです。
演劇を観るという同時空間で体験する観劇体験は作品に参加することなので、チケット代という対価を払っているのは作品に観客として、参加するためのものであるということです。
いとうけい

演劇公演を観るという行動を「消費行動」として見る人は多いと思います。それは娯楽的な側面があるからだと考えます。
一方で、他の芸術鑑賞である絵画や彫刻を観ることを消費行動として捉える人は少ないかもしれません。
すべての芸術は人間存在を問うためであり、絵画と演劇に差はありません。
いとうけい

念のため、演劇が高尚な芸術なのでみんなで資金を投入していこうという話をしているわけではありません。当然、お金を集めようという話もしていません。
演劇を続けていける環境を整えるためには何をしていったらいいのか。という問いがあるだけです。
いとうけい

演劇は普遍的な問いに対して、すべてを人で表す芸術で、また演者と観客が同時空間での体験を通して完成する芸術でもあります。
簡単に言うと、演者と観客が居れば成立するものでもあります。有史以前から親しまれている芸術表現でもあります。
いとうけい

現代社会で演劇を作るためには様々な人が必要です。社会が進化し、社会概念がアップデートされ、上演される内容だけでなく、劇場機構やその他の設備も進化をしてきました。そういう中でよりプリミティブな演劇の形態に回帰している部分も出てきています。
演者と観客だけの空間が基本なのは変わらず。
いとうけい

そして今、私が一連のツイートやこの連ツイで書こうとしていることは、演劇に関わる人同士を繋ぐ場が強く必要とされていて、それは劇場という場だけでなく、人同士の繋がりコミュニティが必要だと考えているからです。ただ、それがどういう形のものがいいのかわかりません。
いとうけい

少なくとも、誰でも演劇に触れることが出来る環境。
例えば、戯曲を気軽に読み合ったり、それを誰かに見せたり、本格的に上演を目指したり、観劇体験に親しんだり、そういうことを図書館に本を借りに行くくらい簡単に出来ることが出来ればと思うのです。
いとうけい

こういうことは、億千万の資金があるかどうかの問題ではなく、どれだけの人がそういう場に関われるようなシステムを作っていけるのかということに関わってきます。それも一人で作るものではいけないと考えています。
一方で、資金があればそういうことが出来る人財をキープすることが出来るかも。
いとうけい

演劇が好きかどうかと言われると、僕は少し躊躇いがあります。演劇が好きなのではなく、演劇を通してしか、表現に関わることが出来ないだけなのではないかという不安もあるからです。
演劇に生かされているという気持ちもあります。
いとうけい

なので、ちょっと演劇してみませんか。
という軽いノリで誘えるような世界が作れればいいな。と、ずっと考えてきたのですが、事態はどんどんよくなくなっていくばかりなので、誰か一緒に演劇のこと考えませんか。って言う問いを投げたのです。
いとうけい

ちょっと演劇のこと考えませんか?