今日になる前に書こうとおもっていたのに。
忘れていました。
僕は、仕事でよく愛媛県に行きます。
主には西条市という瀬戸内海に面したひうち灘という大きな干潟のあるところと背後には石鎚山を抱えている。ちょうど、四国の上の凹んでいる部分です。
そして、隣の今治市に友達がおりまして、今治市にも遊びに行きます。
僕の仕事の内に地域のことを調べて、それを自分たちがやるワークショップに反映させるというのがあります。
この時、現地の図書館で一生懸命調べものもします。
その後、町中にでていって、いろんな人の話を聞きに行きます。
なんで、こんなことをいきなり書き始めたのかというと。
明日は広島に原爆が投下された日です。
僕が今話をしているのは、丁度ななめ向かいの町たちです。
西条市や今治市のお年寄りに聞いた話では、原爆が落ちたときは、なんか光ったな。って、思った後にものすごい衝撃波が来たそうです。
窓ガラスや家の壁がバリバリとすごい音がしたと言っていました。
そして、なんかとっても悪いものを見た。と。
その後、近くの人たちで体調が悪くなって亡くなる方も居たそうです。
僕が話を聞いた人たちの中の一人のおじいさんは、あれがピカだったんだなぁ。
と、言っていて。あれの光を浴びたから、無駄に長生きなのかもしれないなぁ。
と、あまり笑えないブラックジョークをかましてくれました。
町中で話を聞いて回る中で、そういう話をときたま話してくれる人がいます。
実際のところ、それがどんなだったのかわからないのですが、聞いた限りだとかなりの広範囲まで、音や振動、光が届いたみたいです。
この他にも、今治は広島の原爆が投下される前。
丁度、今時分の時間まで、夜間空襲があり、焼け野原になりました。
そういうことを聞いた身としては、忘れないようにしなくてはいけないな。
そう思ったわけでした。
ここで、何か出来るわけではないのですが。
現在の世界情勢や戦争の仕方を考えると、日本が整えなくてはいけないのは、憲法を改正したりするようなことではなく、きちんと外交戦略が打てることの方が何よりも大事だと思います。
日本という国は、空襲を受けた地域の広さや、その攻撃のされやすさを考えると戦争をして攻め込まれた時に非常に不利な国です。
平地率の低さも相まって、重要な施設や人口の多いエリアは限られます。
原爆が落ちた日や戦争が終わった日だけでなく、戦争のことは忘れてはいけないと思うのです。
確かに、広島や長崎の原爆は大きな事件でありました。
ただ、そうしている直前や直後にも、様々な地域が空襲を受け、多くの人が無くなっています。
終戦末期の4月以降になると、毎日黙とうしてもおかしくないくらい空襲があったのです。
そんな日本が考えなくてはいけないのは、なんとか交戦をしないで、解決していくこと。
武力による解決ではなく、知性や悟性による解決です。それが我が国を守るためにとても重要なことです。
どうやったら武力を放棄し、自国の権利を守って近隣諸国と共に暮らしていけるのか。それを考えなくては。
それと、まだ生きてるうちに話が聞けそうな人の話を記憶しなくては。
そういう人たちの生きた証を記憶、記録していくことも、武力に頼らない一つの方法なのだと思います。
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