選挙に行く前に。

僕は、明日法事があるので、今日選挙に行こうと思います。

そのことについて、考えているいくつかのことを書いてから、投票に行こうと思います。
自分の身の周りのことから考えて、確かに民主党政権の時代がよかったか。
と、言われるとせいぜい少しましだった。くらいにしか思えなかった。
僕が今関わっている教育関係や芸術については、自民党政権時代よりも圧倒的によかったと思います。
だからといって、そういう問題なのか。ということではなくなってきてるのだと思います。

党という概念が、既に日本という国家の中の先に考えが進んでいる人たちの中で、終わっているのだと思います。
先だっての東京都の都議選の結果を見て思いました。
それは、エリアごとの候補者を見て、彼らの政治家としての実績を見て、そこから誰に投票するのか。ということを考えていかなくてはいけなくなってきています。

政党や会派ということで、何かを体現していくためには、国民の価値観の多様性が今の政党型の民主主義に追いつかなくなってきているのだと思います。

そこで、僕が考えられる範囲の考えたいことが反映されそうなこと。
また、阻止しなくてはいけないであろうことにいて。
そんなことを考えながら、誰に入れるのかを考えています。
憲法について

重要なこととして、まず、日本の憲法は20世紀の叡智を結集して作られた、とても素晴らしいものです。
当時は、戦争というものが終わったばかりで、その中で戦争というものを国際協力という概念のもとに防いでいくということが考えられていました。もちろん、今も。
それが、機能しているかどうかは別として。
そして、この憲法を変えるのかということについて、為政者が行うものではないと考えてもいます。
なぜなら、政務執行者に都合のよい憲法になってしまう可能性が高く、日本のよう政権を短期間で交代するような国では継続性の高いものではなくなっていくからです。
憲法が規定している改正の規定が厳密であるのは、人というものが情報に踊らされやすく、些細な動揺で大きくまちがった選択をしないようにしているセーフティネットの役割を果たしているからです。

また、憲法は国民を国家から守るためのものです。
そして、その傾向が色濃く反映されていることの一つに、成立した時代背景があるとも言えます。
第二次世界大戦という戦争が終わり、日本という国を再建していく上で、国家や国民の在り様について、非常によく考えられた明文化された憲法であるからです。
この憲法が日本人が作ったものではないから、などと考える人は、もう少しきちんと憲法を全文から読み。
そこに含まれている深い日本への愛情を考えるべきだと思います。

また、我々が持つ平和憲法はある種世界で最も有効なカードであるものです。
これをむざむざ手放すのは、ほぼイコール「戦争をしたい」ということになってもしょうがないと思います。
壊滅的な打撃を与える幾千の兵器なんかは、実際はそれを使うことで物理的な被害以上の被害が起きることがわかっているため、使うに使えない状態です。
そのため、私たちは「はなしあい」ということで、様々な問題を解決していくというのが、人類に与えられている大きな使命です。
第二次世界大戦がおわったあと、そういう世界に突入していきました。
また、更に2001年以降も、それはさらに加速していきます。
大量破壊兵器や大量殺りく兵器というものが進化することで、今度はそれを使わないための協調というパラドックスが起きています。
原子力について

僕が子供のころから、既にその危険性は言われていて、最初の原発が動いてから10年以内には今でいう原子力ムラという癒着関係についての論考が出ています。
また、今から約40年前の本に書いてあった問題点をなんら解消できないまま稼働をしていたという問題があります。
100年の間に3回も国の広い範囲が放射能で汚染された国は日本以外にありません。
(東海村の臨界事故は範囲としては狭いのでのぞきます。)
広島のことだけでも、広島の瀬戸内海を挟んでお向かいの愛媛の町中で戦争の時のことや、原爆が落ちた時のこと、そのあとのことを聞いてみたことがありました。
窓ガラスが割れたり、家が倒れたりというような具体的な衝撃波があっただけでなく、原因がわからない眩暈や調子が悪くなって亡くなった方がたくさん居たという話でした。
あくまで、これは個人的に聞いて回った、たまたま出会って話してくれた人の話でしかないので、サンプルとして正しいかどうかというと、疑問もあります。
人間は記憶をねつ造できるのですから。どちらにしてもそれに近しいことはあったのだろうと思います。
そう考えると、このエネルギーは今の人間にとって、ゼウスの雷のようなものなのではないかと考えています。人間の手には余るものなのだと思います。
かつて、某氏がプロメテウスの火という言い方をしましたが、それよりももっと危ないものなのです。
つまり、もっときちんと研究をして、どう扱えるのかということについて考えるべきなのだと思います。
この問題もそもそもは原子力政策自体が原子力の持つ危険性についての考察や研究が貧弱な時代に作られた旧態のものであるということが、もっとも大きな問題だと思います。

我々は、この間に多くのことを学び、エネルギー消費を抑えることや、エネルギーを保存する方法も多様に手に入れています。
それらは、原子力の研究に比べても圧倒的なスピードで進化をしています。

そんなわけで、ここでは二つのことを考えなくてはいけないと思っています。
原子力の研究のこと。
発電機能についてのこと。
TPPについて

実際、このことが僕のことを相当悩ませていることです。
そもそも、日本の農業政策がうまくいってないので、参加することについてのリスクはとても大きいと思います。
農業政策がうまいってないということは、足元がかなり弱い国だということだと思います。
食糧自給率の低さを鑑みても、どう考えても危険だと言わざる得ない状態です。
また、足元の弱さというのがどこから来るのかというと、社会の構造理解や社会構成主義的な意味での日本という国の弱さが露呈しているのだと思います。
某家電量販店が配っているカレンダーに各地域の特産品が書かれています。
ですが、その特産品を作っているのは実際にはすごい少数のマイノリティであるといってもいい状態です。
国が均質化することで、日本という国が弱くなってきているわけです。
そうなることで、物の値段の適正値が作られなくなっていくということになります。
もう、だいぶ昔から日本は物価がおかしい国ですが、それが更に加速していくことになると思います。

どうしてそんなことが起きているのかというと、日本の国民が消費者としてのレベルがとても低いからであることが言えます。
そこでTPPに関わることのデメリットの方が大きいと思っています。
国家というものについて

国というのは、国民がいて成り立っているものです。
そして、もうずいぶん昔から日本では、日本の全土に国民がまんべんなく住むような政策をとっています。
これは、政権が代わっても継続して続いています。
都市圏に人が集中することの人口問題もありますが、それよりも歴史や風土に対しての感覚が養われないことが大きな問題です。
自分が歩いて行けるエリアから、広がって国全体へと思考が繋がる道筋が必要なのですが、自らの足元を知らないものは、どこまで知識を拡げても机上の空論でしかありません。
仕事で離島に行くこともままあります。そこで生きている人たちがいかにそこの歴史や風土を愛し、時に主観的に、時に客観的に理解をしているかどうかということが、その地域を生かすことになります。
こういった選挙の時にこそ、そういうことから考えてみる必要があるのだと思いました。

選挙について話さないこと

どういうプライバシーの概念なのかわからないけれども、選挙のことについてもっと話をした方がいいのだろうと思いました。町に出ても、あまりそういう話をしている様子はなく、日本では度々行われ過ぎる国政選挙ですが、本当に興味がないのだろうな。と、思ってしまいます。
でも、そんな彼らが話している日常のことを大きく規定するものが選挙であったりします。
まずは、そのことがわかってない人たちに少しでもわかってもらうしかないのだろうと思いますが、何から話したらいいのかわからなくなります。
これについては、あきらめないで考えようと思います。

さて、そろそろ投票に行ってきます。

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