今回の地震が起きてから、2回しか家を出ていない。
単純に家を出るのが危険だからということもあるが、怖いからというのもあるのだろう。
地震の後に家を出て怖いのは、我が家の周りは電柱が多く電線がいっぱい立っている。
これが電柱の倒壊などで落ちてきて、当たったら確実に死ねる。
電線は2次被害としては、あまり話題になっていないようだが、火災も起こすし、当たれば死ぬ。
それと大規模な地震の後なので、地盤が安定していないということからも、家を出るのを控えるのが妥当だと考えたからだ。
twitterやメールで励ましのメールが本当に心の支えになった。
いわき市の平はいわきの中でも被災具合に市内でも差が大きい地域だ。
我が家の近辺は基本的に安全だし、問題は特になかった。
また、幸いなのかどうかわからないが、我が家のマンションの住人はみなどこかに避難したようだ。おかげで、マンションに蓄えられている水は我が家のみで使うことになった。
おかげで、断水地域ではあるけど、水には困っていない。
とはいえ、原子力発電所がそう遠くないところにあるので、これも怖かったが、事態の趨勢を見守ってから行動しないことには、何もできないので様子を見ている間に、関係者からの情報などもあり、今のところ安心して家に居られる。
東京の実家に戻ることも一瞬考えたが、道路状態がかなり悪いという情報も得ているので、これはあきらめた。
幸い、電気、ガスも安定供給されているし、使う時には細心の注意さえしておけば問題ないようである。
そんなわけで、地震から30時間以上の引きこもり生活をしている。
途中、市街の様子を見がてら、コンビニとサティに行った。
コンビニの中は、地震の直後であったこともあり、物が散乱して、ワインであろうものをふき取っている途中のモップが放置してある中を人が跋扈していた。
残っている者から必要なものを選びとり、買っていた。
必要なものは何かという時間よりも、何かを買うことで安心を買うようにモノをかごに入れている様が印象的だった。
自分は、あまり生活には関係のない、コーラや簡単な食べ物を仕入れてきた。
サティは地震の翌日に行った。公衆電話では長蛇の列ができていた。
おそらく、不安から何かを話したいという欲求が強いのだろう。
聞こえてくる内容は他愛のない内容で、それで何かの安心を得ているようだ。
電話の列に並ぶのもありかと思ったが、幸い連絡が取れているし、安否も確認できているので、他の人に譲ることにした。
サティの中は、思ったよりも商品があり、生鮮食品も並んでいた。
少し不思議な感じがしたが、夕方なのに閉店間際のような商品の偏りだった。
牛乳は完全に売り切れていて、豆乳がいっぱい残っていた。
シリアルと豆乳は、簡単に食べられるもののうちの一つなので、手に入れてきた。
他に、レトルトのパスタの具や、水は売り切れていたので、炭酸水を買ってきた。
情報源としては、ネット環境が不安定なこともあり、主にテレビとなる。
報道の人たちのネガティブな要素を聞き出そうという姿勢に辟易して、見るのをやめたくなったが、地震速報やその他の情報を聞くために、つけっぱなしにしている。
こんだけひどい状況なのに、そのひどさについてのことばかりをより抉り出すことは現場に近い自分が見ていてもかなり不安をあおる。
こんな状態でよく恐慌状態や錯乱状態にならないものだと思った。
枝野官房長官がいたずらに不安を煽らないように。ということを言っていたが、まさしくそうだと思った。
報道は、この状況の悲惨さを伝えるだけでなく、こういう環境でも生きている人の強さや優しさを伝えることもできるのではないだろうか。
感動を作る必要はない。単に支援の声明についての情報だったり、市民活動の動きだったり、被災地の中での状況から、ドラマにならなくても生きるための力になるようなことはいくらでも転がっている。
日本は本当にすごい国だと思う。
他の国であれば、こんな状態で列にきちんと並んでお金を払って、お店で買い物をしていたり、街中で声をかけあっていたり、人間的な部分を過酷な環境のせいにして捨てないというのは、とても素晴らしいことだと思う。
そういうことは当たり前のことなのかもしれないけれども、暴動や犯罪が起きていないことが奇跡だと思う。
原子力発電所の対処も架橋に来ている。
それを見守りつつ、余震に揺られている。
そんな地震2日目の深夜である。