いろいろな人に会う。
居方、見方が変われば、人の意見は大きく変わる。
今、そんな間をなんとかする仕事を立ち上げようとしている。
一つ、そこに居る人たちで何かを作る仕掛けを作る。
もう一つは、何かをやるために必要なデバイスとしての役割を果たしていくこと。
せっかくある入れ物に何かをいれ、そこから何かを繋いでいくという仕事はとても有意義なことだと思う。
思えば、父も同じ類のことをして、祖父も同じ類のことをして生きていた。
僕も同じようなことを積み重ねていく。
人と人の間にあるものこそ、人の真実だとするならば、人間という言葉はなんと的を射た言葉なのだろう。
人は人と接するときに相手でも自分でもなく、そこの間に生まれるものを見て何かを構築していく生き物なのだろうか。
演劇という人に今の人間に一番近い芸術が社会に果たせる役割とはなんなのだろう。
プロジェクトとして、形になるものもあるだろう。
ならないものもあるだろう。
terraceの今までで積み上げてきたものが、何かの形で次の段階に進めるのであれば、今のタイミングで起こすことしかありえないと思う。
それは、途方も無く大きく果てしないものを、小さなことからはじめ、ちょっとしたことを繋ぎ、構築していく気の遠くなるような作業なのかもしれない。
南でDrinkを立ち上げ、北でサンデーピクニックが出来た。
ここで主導となっているものは、まるで正反対のことだ。
だが、この事実を検証し。
南の時にこだわっていた、場所の持つ力を使えるのか。
結果、人の情熱に頼り継続していくのか。
どちらもとても重要な要素だ。
今まで蓄積してきたデータと土壌にあった何かを加えることで起きる変化をどう扱うのか。
これが今後の課題になりうる。
ただのおもちゃでも、発信源でもなく。生活する人の間に生まれるものをどう組み上げて、土壌を開拓していくのかということだ。
なんてことを考えてると眠れなくなるので、ゆるりとすすめて行こう。
ただ区切りの時期は来ている。少し逸り焦る心をおさめて。先を見据えよう。