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愛媛県の小学校のワークショップ一校終えて。

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MDの伊藤馨です。

プログラムディレクターの長谷くんのFacebookの投稿を転載。

「先日全三回目の三回目を終えた愛媛県の某小学校では、いろいろ思うところ・得るものが多かった。
約三年前初めてこの小学校に行ったときと比較すると、学校の雰囲気、学校を取り巻く雰囲気が、とっても良い方向に変わった。子供達の感じも、なにをしても無反応でどこか重たかった最初の頃と全然違う。軽くて明るくて元気で、ごく自然に助け合っている感じ。シャイはシャイだけど、ちゃんと子供らしくて良い。
ぼくらのワークショップのせい? いやいや、んなわけない。たった3回のワークショップで子供たちが変わったりしたら、怖いじゃないか、ヤバイじゃないか。そんなヤバイことはしないよー。そこはホレ、特に気をつけていることの一つだ。
これはもうひたすら、校長・教頭・先生方の、子供達のためならなんでもしてやるぞという貪欲さと、毎日の不断の努力の成果なのである。もしぼくらのワークショップが役に立ったとしたら、先生方の指導指針に別の視点を提供したり、子ども達はいまどういう状態なのかなーという物差しとして機能したり、とか、そういう効率を向上させるタイプの効果なのだろうと思う。逆に言えば、それ以上のことはぼくらにはできないし、やっちゃいけないんだよなー、とも思う。子供を育て、良き方向に導くのは、普段日常的に接している大人。いい悪いじゃなくて、「よく考えれば当たり前」のことなのだが。」

と、こんなことを考えてワークショップしてたりします。

ここ最近の動向と今年度後期の野望について。

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先週は、台風直前の奄美大島の宇検村で打ち合わせとワークショップをしてきました。
話をしていて、痛感したことがあって。
それは、奄美大島の宇検村は、日本で三番目に大きな島で。
その中の宇検村はとても小さな行政区域なのだけども。
抱えている問題は、愛媛県や東京の杉並区と変わらないことが多い。
ただ、環境の差があるため、その出方の差がある。
今年度のterraceのワークショップは「ことば」について考えていくことになりそうです。
身体的な発語や、その発語のプロセス、そういうことと、クリエイティブディスカッションを組み合わせて、インプット、アウトプットを意識下に置いて行うことを考えてみたいと思います。
中の人である、MDの伊藤は、こんな感じで今年度後半のワークhショップを考えていきます。
きっと、PDの長谷さんは、これに答えて、面白いワークショップを作ってくれると思います。

それと、関係ないですが、今年度のMD的な野望としては、ワークショップ開催地で「適当に公演をする」です。
なぜ、適当になのかというと、当然ワークショップが主体なので、あまり他のことに時間はかけられません。
ですが、演劇に関わる身としては、ワークショップではなく、演劇を観てもらいたい。そんなに稽古もできないし、きっと打ち合わせしていきなりどーん。みたいなことになるかもしれない。
でも、少しでも創作したものを発表して、観てもらうことを恐れずにしていかないと、いけないと思うのです。
劇場だけで公演を行うのではなく、それ以外の場所でも公演は行った方がいいし。地方に僕らの準備できる時間に見合うサイズの劇場があるわけではないので、知り合いになったカフェとか、学校とかの狭いところでやることになると思うのです。
ただ、作って、みせる。演劇は参加してみるものだということを少しでも伝えていきたいです。

ワークショップの内部発表の時の見学の人と、創作した児童生徒の温度差は参加している度合の差だと思うのです。
その場に参加して、発表を観るのと、ただ発表を受け手として観るのでは観点も変わります。
それは、ある種とても残念なことに思うのです。
ちょっとでも、触れる機会を増やしていくこともこの事業の中で出来ればいいなぁ。と。
ただ、僕だけではできないので、野望なのです。
協力してくれたらうれしいなぁ。やる側でも観る側でも。

学校とコミュニケーションワークショップ

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一年間で多くの学校とワークショップを積み重ねていく中で感じたこととして、
この「コミュニケーション能力の育成に資する芸術表現体験事業」は、
芸術家と”学校”がいかに協働するのかということが大事だと強く感じています。
先生たちの教育のスペシャリストという観点であったり、外部の人間から子どもを守る立場であったり、子どもたちと日常をともにする大人が、子どもたちとのワークショップという「非日常」で経験したことを「日常」へと落とし込んでいくために不可欠な要素です。
また、そういった現場の先生たちの立場や状況を踏まえて、先生たちを守り、理論的、制度的なところを詰めていくために校長先生たちの理解や協力も必要です。
学校がワークショップを円滑に行うための手助けをする人たちの存在も不可欠です。特に実施がきちんと行われているのかということや、実施した学校だけのことにしないことや、書類関係の学校の負荷を軽減することなど、学校周辺のことには教育委員会の協力も必要です。
芸術家もこういった学校を取り巻く既存の運営環境をを理解していく必要があるとも感じています。
「コミュニケーション by wikipedia」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B3%E3%83%9F%E3%83%A5%E3%83%8B%E3%82%B1%E3%83%BC%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%B3
コミュニケーションで一番大事なのは、いかにして受け入れるのかという受容の能力の向上です。
これは、かなりの暴論であると思いますが、結局見る、聞くという受け入れるということから始まらないと、話すための素地は生まれないものです。
芸術表現という言葉を使われているせいもあり、アウトプットの「表現」という言葉から、何かを発することに重きをおいて理解をしてしまいがちです。
人前で何かを表現したり、人に言葉を投げつけるのはコミュニケーションではありませんし、コミュニケーション能力の向上には役に立ちません。
それだけでなく、発達段階上の置き位置を間違えるとただの暴力や洗脳になりかねません。場合によっては子どもたちにトラウマを植え付けることにすらなります。
本当に重要なのは、まずは人と人の間にあるものを理解していくことです。
人と人の間にあるものを感じるためには、人から発信されたものをしっかり受け取り、理解していくという過程がどうしても外せないものになります。
「この人はどうして、こういうことを言ったのだろう?」
「これにはどんな意味があるのだろう?」
こういったことをいろいろな人たちとの間で、繰り返し、行っていく中で
一年間で多くの学校とワークショップを積み重ねていく中で感じたこととして、
この「コミュニケーション能力の育成に資する芸術表現体験事業」は、
芸術家と”学校”がいかに協働するのかということが大事だと強く感じています。
先生たちの教育のスペシャリストという観点であったり、外部の人間から子どもを守る立場であったり、子どもたちと日常をともにする大人が、子どもたちとのワークショップという「非日常」で経験したことを「日常」へと落とし込んでいくために不可欠な要素です。
また、そういった現場の先生たちの立場や状況を踏まえて、先生たちを守り、理論的、制度的なところを詰めていくために校長先生たちの理解や協力も必要です。
学校がワークショップを円滑に行うための手助けをする人たちの存在も不可欠です。特に実施がきちんと行われているのかということや、実施した学校だけのことにしないことや、書類関係の学校の負荷を軽減することなど、学校周辺のことには教育委員会の協力も必要です。
芸術家もこういった学校を取り巻く既存の運営環境をを理解していく必要があるとも感じています。
コミュニケーションで一番大事なのは、いかにして受け入れるのかという受容の能力の向上です。
芸術表現という言葉を使われているせいもあり、アウトプットの「表現」という言葉から、何かを発することに重きをおいて理解をしてしまいがちです。
人前で何かを表現したり、人に言葉を投げつけるのはコミュニケーションではありませんし、コミュニケーション能力の向上には役に立ちません。
それだけでなく、発達段階上の置き位置を間違えるとただの暴力や洗脳になりかねません。場合によっては子どもたちにトラウマを植え付けることにすらなります。
本当に重要なのは、まずは人と人の間にあるものを理解していくことです。
人と人の間にあるものを感じるためには、人から発信されたものをしっかり受け取り、理解していくという過程がどうしても外せないものになります。
「この人はどうして、こういうことを言ったのだろう?」
「これにはどんな意味があるのだろう?」
こういったことをいろいろな人たちとの間で、繰り返し、行っていく中で養われるのがコミュニケーションに関わる能力です。
一方で、今年よく聞かれた質問に、
「表現がうまくなるにはどうすればいいですか」
「発表を上手にするにはどうすればいいですか」
というものがあります。
これらは発信のする場面のことで、受信側を重視しているコミュニケーションワークショップとはちょっと目的が違いますし、あまりそれらがいいことであるとは思えません。
大きな声で人前で発表できました。
は、ただの慣れであったり、声が大きく出せるというスキルの部分です。
人によって、それは苦痛であったり、トラウマになりかねないものになります。
また、環境が変わればこういったスキルの応用が難しいものです。
対して、何かを表現する環境を構築する場面への素地を作るためのものであり、発表のためのものではありません。
コミュニケーション能力というのは、生きていくための力であり、ただのスキルではないと考えています。
経験や体験を実感して、さまざまなことを取り込んでいくための能力で、ライフスパンで考えて有用なものになります。
次年度の募集も開始されました。
今年度に引き続き、各地域で美味しいもの。じゃなかった、子どもたちが何かを乗り越える場面や、楽しそうな顔に出会えることを楽しみにしています。

やあやあ

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澤唯です

直前の日記で馨が書いてくれたので
写真だけを

1軒目のまるお

駅から学校に向かうとき
こんなカットサロンを見つけ
その敷地内にいたのが

呉服屋でした…

彼でした
インパクト大

2軒目のまるお


お昼ごはんを食べようと
先週と同じ「ヒマラヤン」へ向かっているときに
誰かが「あ、又まるおだ!」と叫び
探究癖のうずいた馨が走った結果
彼らの素性?が明らかになったのでした

今週もやってきました

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どうも
terraceの澤唯です

先週に引き続き太田へ来ています

池袋で乗りたい電車までに間があって
目の前にハーゲンダッツがあって

アルフォンソマンゴー&クリーム

美味しかった
でも
ダブルにすればよかった

そして
二時間近くガタゴト揺られ
再び彼に出会ったのです

待ち合わせ場所だったのね

おおたん

ぼくは人間ですが
彼は何なんでしょう

それにしても
芝居の本番以外で芸総を休むのって初めてじゃないかな

みんな
唯さんは明日一日、別の高校生たちのものです
グレずに励んでくれたまえよ

俺も群馬で頑張るよ

太田の夜

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明日も早くからワークショップだと言うのに
まだこんなことをしております

どうも
terraceのごはん君こと澤唯です

7時間ほど前に食しました夕食の写真です

馨と「どくろ房」というラーメン屋さんに行って
ワタクシが注文した「どくろめん」
美味しかったなぁ

一緒に頼んだ「トロ肉丼」も
馨の食べてた「しおめん」も
美味しかったなぁ

なぜかずっと流れているディズニーミュージックさえなければ
もっといいのに

美味!「どくろめん」

明日は
群馬県立太田フレックス高校へ行ってきます

群馬に前乗りって
なんか変な感じ
感覚的に

いや
ちゃんと(?)遠いんですけどね

20100514 愛媛県西条市立小松中学校2

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ども、terraceのMD(マネージメントディレクター)の伊藤馨です。

さて、愛媛県西条市一つ目の学校が終わりました。
卓二と相馬くん。ありがとう。

一応、休憩中のオフショット。

左から、伊藤馨(僕)、中村卓二(福岡のギンギラの俳優さん)、相馬杜宇(東京の劇作家)、北村耕治(terrace&猫の会)

ぽい、写真。基本やらせです。その前まで、後半についての打ち合わせを真面目にやってたのだけど、

カメラを向けられて、写真を撮られたので「談笑してる風の絵」を作ってみました。

実際はストップモーションでなんもしてません。

なんていう馬鹿なことをしていますが、ワークショップは真面目にしてます。

4対93で進めていくのは結構大変でした。

今、まだ整理が終わってないので、もろもろ片付いたら、記録やプログラムもアップしていきます。

小松中は先生方が大変協力的で非常にやりやすく、参加してる先生も写真を撮って回る先生も、

みんな生徒たちを愛してるんだなというのがよくわかっていい学校だなと感じました。

ここ、西条では全部で7校の小中学校で僕らは年間を通じて様々なワークショップをします。

都度、いろいろアップしていきたいと思っています。

次週もまたあります。

今度はオフショットとかじゃなくて、なんかちゃんとした写真をあげたいと思います。

伊藤馨。