- 今日の夜から明日の西条市立田野小学校ワークショップに参加のみんなが西条入り。ワークショップ講師も参加っていう言い方でいいのかな。気分的にはあってるけども。講義はしないが講師。不思議だな。 #
- 東京からみんなが向かってくる。いや、というか受け入れ側ではなく。仲間が来るだけなのだが。一人ぼっちだったから心強い。 #
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演劇を社会の中に置く
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terrace5年目の林成彦です。
ゆうべは定例のミーティングでした。
なんと怒涛の6時間50分!
そんな長いミーティングはきっと人生初だ。
でも有意義なミーティングでした。
もう今は打ち合わせひとつするにもデジタル機器が不可欠なんだなぁ。
ノートにたくさんメモをとりながら、そんなことを思いました。
今年度は過去2回の前年度、前々年度と比べ、約4倍強の参加者に対してのワークショップとなりました。
当初、懸念していた。プログラムについての質と量の差を前年度と比べ軽くなるのではないかということがありましたが、講師、アシスタントの増員をし、入念にミーティングした結果。前年度と同じプログラムをこなすことができました。これは、国民生活センターの職員の方々、受講者の方々の協力のおかげだと思います。あらためて、ここに感謝の意を述べたいと思います。
ワークショップ全体についてのこととして、今年はロビーを使っての講習もあり、受講者の方々には集中力を保ちにくい環境であったと思いましたが、非常にがんばって取り組んでくれたことが印象的でした。講堂についても、前年と同じ場所でしたが、人数的には倍近い人数で、隣との干渉がある中での創作となってしまいましたが、とても質の高い創作を行えたことをとても嬉しく思います。
このワークショップでは、抽象的な思考を使い、プロセスごとに協力し、問題解決を計るということ体感的理解と、創作時のコミュニケーションをフィードバックすることで、コミュニケーション時の他者の着眼点、注意点などを体感的に理解するということ、また、講師の進行時の動きや進め方を学ぶといくつかの要素を盛り込んだ内容となっています。
今回の参加者の作品は、講堂側はどちらかというと、シーンを分かりやすい台詞を多用したものになったのに対し、ロビー側は言葉を最小限にとどめ、アクションや異化を用いるものが多かったように思います。
これは、受講環境の違いが大きく影響していると考えています。
講堂は、閉鎖的な空間で創作への集中力を保ちやすい分、台詞などの情報量が多いものを使う傾向があり。
ロビーなどの外が見える空間では、空間に対しての自由度が広がる分、台詞を使わずともアクションで表現するという傾向がありました。
環境の違いにより、創作の質が変わること、また、外が見える開放的な空間で集中力を保つことは難しいということが非常によくわかりました。
今後のワークショップにも生かしていければと思います。
最後の質問コーナーで演技に対しての質問や、実演が見たいという意見が多かったのが、非常に残念でした。
演劇ワークショップでは、その課程で得ることが多く、発表という結果はあくまで結果に過ぎないという点をあまり理解できなかったのではないかという危惧があります。
プロセスにおける問題解決は、日々の仕事の中で重要な要素を占めていると思いますが、この点を解消することや、実際の消費者教育における実践方法について、進行の仕方やプログラムの組み方についてなどの実のある質問が少なかったのが残念です。
創作された作品群の素晴らしさはとても素晴らしい作品だったと思います。
ワークショップが終わってから少し期間が空いて、時期的にフィードバックとなる部分が浮き上がりやすい状態であると思います。
もし、他の質問や聞き損ねたことがある場合は、いつでもご連絡をお待ちしております。
今後の受講者のみなさんの活躍にご期待いたします。
携帯電話に対応しました。
3Gの携帯の方しか見られなかったと思いますが、これで他のキャリアの方も形が崩れずに見られるようになりました。
今後ともよろしくお願い致します。
・概要
敬語を使うシチュエーションを使った演劇ワークショップ
・内容
ディスカッションを中心とした演劇ワークショップによる敬語の用法についての体感的理解
注意点
敬語についてのワークショップではありますが、このプログラムは正しい敬語の使い方についての技術講習ではなく、敬語のある風景を考える、再現することにより、敬語を使う場面についての体感的な理解を深めるために行っているワークショップです。
ただし、教育的な意味合いとして、ワークショップの現場においての有識者のコメントなどにより、用法や用例についてのコメントがあった方が教育効果が望めます。
事前に敬語の分類についての指導および事後にワークショップの振り返りの時間を持つことを前提としたプログラムです。
事前指導では、主な敬語の種類、分類、用法、用例などについての講習を行います。
事後指導では、ワークショップ中にどんな障害を感じたか、またその障害をどのように乗り越えたのか、乗り越えられなかったのかという点を中心にディスカッションを想定しています。
言葉の身体性というメタ認知の領域を扱うことなので、基本的に創作を台本化したり、それを読むということをせずに、状況に応じた対応をすることで敬語を使う場面を体感的に理解することを目的にしています。メモなどは最低限に抑え、グループ内のディスカッションに意識を集中させましょう。
・事前準備
ガムテープにマジックで呼ばれたい名前を書き(ひらがな、カタカナのみ)見えやすいところに貼る
動きやすい服装
プログラム概要
●ガイダンス
・始まりの挨拶と講師陣紹介
・内容の説明
●ウォーミングアップ
準備運動
コミュニケーション系のウォーミングアップ
身体表現系のウォーミングアップ
●シチュエーションを考える
敬語を使う場面を考えよう。
敬語を使うのはどういうときか、考えてみよう。
この段階では、話し合いのときには、他者の意見の否定をしないこと。
肯定的に、相手の意見を楽しみつつ、自分の意見も言っていこう。
●シチュエーションを発表する
各グループの「代表者」に発表してもらう
ホワイトボードに書き出す
●休憩
●創作 – ディスカッション
考えたシチュエーションのうちの一つを、実際の場面としてつくり発表してもらう
・ルール
全員登場すること。
長さは特に問わない。1分程度できればよい。
無理に「お芝居」をつくろうと思わなくてよい。
登場するのは、人間に限る必要はない。
機械や家具、気持ちなど抽象的なものになってもよい。
まずは話し合いをしよう。
・登場人物を考えよう
・そのシチュエーションで
成功するパターンと失敗するパターンの二つを考える
・どんなことが起きるか考えよう
●創作 – 状況の発表
各グループに、話あいの内容を発表してもらう
・どんな人物が出てくるか
・どんなことが起きるか
など
●創作 – 実創作
身体を動かしながら場面をつくっていこう
※台本化するのではなく、その場面を身体を動かしながら創作することで敬語の必要な場面を体感的に理解させることが目的になっています。
●発表
1チームごとに発表
1チームが終わるごとに講師が演劇的な部分についてのコメントをしていく
●まとめ
有識者による敬語の用法についてコメント
●ふりかえり
ワークショップ内で起きた事柄、印象などについてのグループでの共有
グループごとのフィードバックの発表による全体共有
所見とまとめ
●クールダウン
●終了
高松のサンポート高松で行われた、国語問題研究協議会の西日本大会の第4部会でワークショップをしてきました。
内容は一昨日にウィルあいちで行った敬語のワークショップと同じ、敬語を行うシチュエーションの創作です。
今回も全体的な所見だけ、先にアップします。
プログラムの概要は後ほど。
西日本でもプログラムの微調整はしたもののほぼ同じプログラムを行いました。
前半のウォーミングアップからどちらかというと、戸惑いはありつつもとにかくやってみるという姿勢がすばらしかったのが印象に残りました。
今回の敬語のワークショップでは、敬語を使う場面の想定をして、その中で敬語が上手使えた場合と使えなかった場合という2つの課題を与えていました。
東日本でのことと同じことですが、敬語を日常的に使うのが普通の大人の中で、今回は使わない状態での関係性の想像するということが一つのハードルになっていたようでした。
発表時にそれが敬語を本来使う場面で使わないという役割を担った人が、言葉としては敬語を使っていないのですが、身体的状態は敬意を表してしまっているという状態が起きてしまうということに、特徴的に表れていました。
敬語という人間関係のツールを使うときに身体性や敬意による裏づけが必要で、その裏づけのない敬語、つまりマニュアル敬語といわれるような敬語とは大きく違います。
今回はどちらかというとハイペースで進行出来たので、最後に振り返りの時間を設けることが出来ました。その中でも敬語を使わないということが難しいというような感想があがってきていました。敬語の中での親しさと丁寧さとの違いということもあがっていました。
敬語の用法についてはスペシャリストではないので、ワークショップ内でも文化庁の国語調査官の方にお任せしていました。
この敬語のワークショップは敬語に対しての啓蒙というよりも、人間関係の中における他者への尊敬や言葉と身体性について考える機会を作り、敬語というツールを通して人との関係を見ていく。
状況に応じた表現を用いることで如何にして人と関わっていくのかという演劇の中でも根源に近い部分を使ったものであるように思います。
日本語という言語を使ったコミュニケーションの中での身体性を見ることが、「敬語」という切り口はとてもいいサンプルにもなるということがいえると思います。
愛知県のウィルあいちで行われた、国語問題研究協議会の東日本で第4部会でワークショップをしてきました。
当日は名古屋が実家のメンバーの林も参加して手伝ってくれました。
内容は、敬語を使うシチュエーションを考えて創作するというものでした。
今回は学校教諭の参加者が多かったように思います。
今回の所見だけ、先にあげておきます。
全体的に創作としての出来がいいものであったので、参加者がとても楽しそうだったのが印象的です。
それと、このプログラムはもともと文化庁の「言葉」に関する事業の中の一環で依頼されて宮古島の高校で高校生対象に行われたものでした。その後、横浜国立大学付属中学で中学生対象に書き換えられ、今回初めて大人相手にプログラムを行いました。
さすがに大人ならではのシチュエーションも多かったですが、学生対象と違い社会経験があり、敬語を日常的に使う機会がある人が行う創作となると見える場所、目的がずいぶん変わります。
特に、敬語を上手に使いというのがどちらかというときちんと敬語を使わなくてはいけないという感覚がたってしまうのは学生たちと変わらないのですが、そこに焦点が当たってしまい創作が進まなくなる場面も見受けられました。
最終的な発表は全部で5チームあったのですが、独自の視点や地域性を取り入れたもの、キャラクターを強く押し出したものなどバラエティに富んでいたものが出来、よい作品群だったと思います。
発表の良し悪しが直接ワークショップの可否ではないとは思いますが、面白い作品でかつ敬語についての扱い方や場面についてのディスカッションが順調に行われた成果ではあります。
このプログラムの進行では、必ず付いてきてくださって敬語の使い方、用法についての所見を文化庁の国語調査官の鈴木仁也さんが行ってくれています。その所見の中で、敬語を使う体とそうではない体という身体性の違いについて仰られていました。
演劇というとどうしても表現という形に取られがちなのですが、ことばを語るということは必ず身体性を伴ったものであり、その使い方をわかりやすい形で自覚する機会として演劇ワークショップのような手法はとても有効で、今回の敬語を使う体、使わない体という違いは些細な変化でしかないのですが、これを実演して、観て、振り返るという3段階を踏んで確認できるという意味でも有効な手段足りえるのだと思いました。
ただ、惜しむらく時間が足りなかったのと、学校教育転用やそれについてどうしていくかというステップまでの方法論を語るところまでは進められなかったのが残念です。
教育制度として演劇教育という大上段に構えた形ではなく、学校内でのレクリエーションも兼ねた教育手段の一方法として落とし込んでいく、もしくはPTAまでを巻き込んだ形で、学校教育の周辺分野との融和を図る方法論など、まだ議論の余地は大きく残されているところですので、こういった場でワークショップだけに留まらず、実際の現場に落とし込んでいくということについてのラウンドテーブルを行えれば、さらに可能性が出てくるように思います。
その一方で演劇ワークショップの危険な部分についての知識についての啓蒙もしていく必要があります。これについては、別稿でまた書きたいと思います。
戯曲には、セリフ、ト書きなどが書いてありますが、
2 行為、行動について(Action)
英語で俳優のことをActorと言います。これは、行為、行動(Action)する人という意味から来ています。
このアクションは、常に連鎖していきます。
例として、AさんがおはようとBさんに言う、Bさんがおはようと言う…
というようにAさんが起こしたアクション(この場合、おはようと声をかける)がBさんのアクション(おはようと返事をする)に繋がって行きます。これに対して、Aさん、もしくは他の登場人物のアクションが繋がっていき、戯曲の最後まで行きます。
このアクションは後ろから前に辿っていくことができます。
Bさんのおはようというアクションから、なぜそのアクションをしたのかという原因は、Aさんのおはようにあたるわけです。
ちなみに、時間軸順で前から後ろに進むことは出来ますが、前から後ろに辿ることはできません。
Aさんがアクションを起こした時点での、Bさんの行動はまだ予測が出来ないからです。
登場人物は主に4つの要素で構成されています。
1 目的
2 障害(目的に対しての)
3 葛藤(障害に対しての)
4 ゴール
戯曲全体を通してという意味もありますが、シーンに出てくる登場人物には各々に目的が設定されていて、それに対しての障害があります。そのための葛藤を乗り越えて、ゴールに向かいます。
例をあげると、Aさんは林檎が食べたい(目的)、ただしお金がない(障害)、どうすればいいのか?(葛藤)、Bさんにお金を借りて林檎を買った。(ゴール)というようなことがあります。
始まって、終わる。
必ず始まったら終わります。
当たりまえですが、重要です。
また、一回進んだら戻れません。始まりから終わりに向かって常に進み続けます。
なので、演劇は一定の時間と空間の中にしか、存在しえない芸術であると言えます。
ドラマの簡単な構造として、大きく分けて3つのパートに分かれます。
前提部、本編、エンディング
前提部 登場人物が置かれている世界や、登場人物の状態について観客と共有するためのパート
その作品が始まる直前の過去との接点でもある。
本編 戯曲の本編
エンディング ここでは、作品のその後の世界が描かれることが多い。終わりにあたる部分。
ドラマを進めていく上で、戯曲にはクライシスという緊張感の高まる場面とリラックスするシーンがあります。これが何回か繰り返されてエンディングへと向かっていきます。
緊張感がある場面が続いてしまうと、観客が飽きてきたり、作品に対しての興味が薄れてしまうので、緊張感を高めたり、緩めたりということを繰り返していきます。
例としては、敵に囲まれて、逃げている。壁際に追いつめられる(クライシス)、壁を飛び越えて逃げる、敵は追ってこれない。(リラックス)というような感じです。
これを繰り返して、波のような感じでエンディングを迎えるというようなことがおきます。
リーディングは戯曲を演者が戯曲をことばとして立ち上げて、観客に伝える芸術です。
立ち上げるというと難しい感じしますが、単純に声に出して伝えるということではなく、非言語による表現も使うという意味と、セリフをただ読むのではなく、演者の身体を通して表現するという意味で立ち上げるとここでは表現します。
このとき、すべてを音声だけで表現して伝えていった場合はラジオドラマと同じで演者が見えている必要がありませんが、演者が見えている状態を作ることにより、表現をするというところで音声表現のみではなく、演者がと観客の関係性を必要とします。
また、リーディングで作品を上演する場合、戯曲を演者がことばとして立ち上げるわけですが、そこで表現されているものを最終形として発表するわけではなく、その戯曲の最終形(実際に上演されたときの状態)を観客に想像してもらうというのが目的になります。
厳密にこれがリーディングだという決まった形ややり方が存在しているわけではありませんが、観客の目の前で起きていることだけで表現が終っているものは、リーディングというよりも戯曲を使ったパフォーマンスとしての意味合いが強いと言えましょう。
想像させる余地を持つということ以外については、上演の方法論やコンセプトにより違うので、厳密にこうでなくてはいけないということはありません。
キャスティングもこれが王道とというやり方はありません。なので、伊藤馨がキャスティングをするときに気をつけていることについてを書きます。
観客に想像をさせるといっても、実際に読む演者が居て、そこを基準にして想像を膨らましていくことになるのでキャスティングはある程度重要だと思っていいと思います。
一番簡単な方法としては、性別と年齢を合わせるということがあります。
実際にそれも困難なので、実際はバラバラだったり、全員女性になったりします。
その場合は、声と見た目で合わせていくというのがあります。
同じ場面に登場する演者の声が同じ人がいると、単純に観客が間違えてしまうということがおきます。
また、見た目も同様であまりにも似ている人が別の役やっているとこれも勘違いさせやすいので、気をつけておいていいと思います。
あとは、単純にコンセプトを決めるというのがあります。
子供の登場人物をあえて高齢の方にやってもらうとか、女子高生におじさんを一人混ぜるとか、ちょっとした違和感があるものを入れること。これが余りにも異物だと観客の想像力を阻害しすぎるので注意が必要です。
最大に重要なのは、面白そうだと思えるものを入れていくということ。
さじ加減も大事ですが、しかかりであるということと、演者が楽しそうにしていることというのは重要な要素なので、その辺りに気を配ることが大事なことだと言えましょう。
ドラマリーディングをする際に気をつけなくてはいけない点として、練習時間があります。
普通の俳優であれば、一回通して読んで、シーンごとに細かくシーンの練習をして、最後に通して読む。
練習の時間は上演時間の概ね4~5倍の時間で作ります。この中にウォーミングアップの時間は含みません。
なぜ、上演までの練習時間の上限を作るのかという理由は3つ。
一つは、俳優に戯曲の動きや言葉が入りすぎてしまうことでドラマリーディングという枠から出てしまい俳優が動きたくなってしまうということが起きてしまうからです。
そうすることで上演時の状態を想像させるというドラマリーディングの表現形態からの逸脱が起き、また観客が見るべき頭の中で再構成した上演時の舞台よりも実際に読んでいる姿が前に出てくることで観客に混乱を招く可能性がある。
もう一つは、俳優ごとの読み込み、再現性というのは個人差があります。これらの差が少ないうちに発表まで行った方がよいということです。俳優間で差が大きくなると、これも観客にとって見づらい状態になることがおきます。
最後に、俳優の伸びしろというものがあります。これは、読み始めてから一回なんらかの障害にぶつかります。それを一つ目を超えるところが大体上に示した時間に起きます。それ以降の障害を乗り越えるためには、成長高原という成長が見えない状態がしばらく続いた後にしか訪れません。なので、一回目の障害を乗り越えたところがもっとも発表に適しているといえるからです。
最後にサンプルのタイムテーブルを書いておきます。
30分の作品の場合
0:00 開始
ウォーミングアップ 20分
0:20 通し読み 30分
1人、1セリフ、1ト書きで順番に輪になって読む。
0:50 休憩 10分
1:00 配役 10分
1:10 頭から止めながら練習 10分
2:10 休憩 10分
2;20 通し稽古 30分
2:50 フィードバック 10分
3:00 終了 もしくは発表
これが成立するためには、まず上演のコンセプト、作品の読み込みを演出家がしておく必要があります。
それ以外の場合は配役についての時間を長くして参加者全体でのコンセプトを作るという時間にして20分程度の時間をとるといいと思います。その際は休憩はなしにします。
とはいえ、要は、楽しければなんでもいい。これにつきます。
それではがんばってください。